無楽斎の極小右記

日々の雑感や読んだ本のこと、また西荻窪 をメインとした杉並区とその周辺の街歩き情報を中心にアップします。

タグ:江戸しぐさ

先日、江戸しぐさに関するサイトを閲覧していたら、

http://www.food104.com/bn-ata/aguri/vol22.html

次のような記述があった。
『たとえば、江戸では「人間」を「じんかん」と読ませていた。これは人と人には良い間合いが必要と言うこと。』

う〜ん。違うんだな、いつもの通り。
「人間」という語は漢文、すなわち過去の中国語からくるもので、「じんかん」と読むのが元々の読み方なのであって、別に江戸でじんかんと読ませていたわけではない。意味も「俗世間」とか「世の中」と訳されるもので、呉音で「にんげん」と読ませる場合の「ホモサピエンス」という意味とは少し違う。(違うけれども、意味は通じてしまう。)
「人間至る処青山あり」という言葉(詩)もあるよね。(にんげんいたるところあおやまあり、と読んではいけない。)
ヘンテコリンな偽史を吹聴する方々のトンデモ日本語解釈には呆れるばかりである。

というようなことを考えていて思ったのが、自称保守の皆様(でなくてもいいけど)に伝えたい言葉の問題。

よく言われるようにまずはいわゆる歴史的仮名遣いの問題がある。これについてはしばしば他のブログなどでも言及されているので、ここでは論じない。ただ、あらゆる知識レベルの人に漢字を含めた文章を読ませるためにはある程度仕方がなかったのではないかとは思う。現に正字正かな遣いの人も、変換ツールとか使ってますしね。

でね、実は、こういったいわゆる歴史的仮名遣いについてはちょくちょく話題となったりするのだけど、まず絶対に無視されているのが、「右横書き問題」なのだ。
手元にある本、文庫本なんかを手にとって開いてみよう。
こんな感じですね。

かあ
きい
くう
けえ
こお

これが縦書きで一行が三文字だとこう。

こきえあ
くおい
けかう

ここまで書けば分かるだろう。一行一文字だと、

こけくきかおえういあ

となる。
本来の日本語では、「右横書き」こそが正しいのであり、現在の左横書きは日本語のルールを無視したものなのである。
文法における保守主義者よ、何故抗議しない。正字正かなよりも問題ではなかろうか。

と、問題はこれだけではない。
明治20年から書き始められた日本初の言文一致体小説である、二葉亭四迷の「浮き雲」を見てみよう。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000006/files/1869_33656.html

読んで理解できますか?
本文は読みやすいのだが、はしがきや序文なんて、さっぱり理解できない人の方が多いのではないだろうか。
でも、明治の知識人にとっては読めて当たり前なのが、この漢文訓読体だ。当然江戸時代以前に書かれたものも、基本的にこれが理解できていれば、ほぼ問題なく読める。

さすがに、私もこれを現代社会に復活させろとは言わない。
だが、「日本の伝統的な国語」を語るのであれば、いわゆる歴史的仮名遣いだけでお茶を濁すだけでなく、ここにまで言及すべきではないだろうか。
ブログだって、是非漢文訓読体で書いて欲しいものだ。

Wikipediaでの江戸しぐさの項目が相変わらずおかしな事になっている。

江戸しぐさが商標として登録されていることについて何故か記載されている。何なんでしょうか?
何らかの牽制?恐らく記載したのは江戸しぐさ関係者ではないかと考えられるが、商標権と著作権の区別がついていないのだろう。

さて、ここでちょっと考えてみよう。江戸しぐさが行動規範のようなものであるのなら、それを商標として登録するのはちょっとおかしいのではないだろうか。親孝行とか騎士道精神とかを商標として登録するとは考えられない。
普遍的な名称ではないからこそ。商標として登録したのだろう。

逆にいえば、特許庁は「江戸しぐさ」を普遍的な行動規範として認めなかったからこそ、商標として登録することを認めたのではないかとついつい考えてしまう(笑)。

p108 「異文化といえば〜」として、シーボルトの話が唐突に始まるが、特に何も話が広がらずに終了。何じゃこりゃあ。

p113 「(江戸社会の;筆者注)根底にあったのが共倒れしない(共生の)哲学だった。」とある。

江戸時代、地方の農村の次男以下は、基本は江戸を始めとした都会に出てきたわけなんだけど、これ実は人減らしなんですね。こういう人たちの江戸での死亡率、かなり高かったと言われている。「共生」とか「共倒れしない」などという綺麗事では済まされない厳しい現実があったのだ。

Wikipediaにおける江戸しぐさの項目の記述が実に酷くなっている。
ファンが編集しているのか、江戸しぐさの関係法人の広報担当者が編集しているのかわからないけど、Wikipediaには何が記載されるべきか全く理解していないようだ。
記載項目もスカスカ。詳しいことを書くと色々と矛盾点が出てくるからであろう。
「○○で使用され」とか「取り上げられ」とか百科事典に書かれるものではないし、逆に書けば書くほど信憑性を失うんだけど。


さて、
ツイッターを見ていると、最近この文章の内容をツイートする人が多い。

http://www1.ocn.ne.jp/~cdl65021/s1-edosigusa.htm

「この商人しぐさを原型として一般の町民にも広げたものが[江戸しぐさ]といわれています。この「商人しぐさ」を江戸の町民全般に広げる役割を担ったのは「寺子屋」や「講」による初等教育でした。」

こちらにはこうある。

http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/a363f898bf93c2d2b7dfdab9b3e0b9e9

「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術あるいは、倫理観、道徳律、約束事ともいうべきものであろうが、未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず(以下略)」

門外不出なのに寺子屋では教えられていたらしい。これは今までにもあった矛盾点ではある。
ただこういう何か目を覆いたくなるような矛盾点を関係者が未だに放置している(だろうと思う)酷さを考えると、放っておいてもそのうちにメディアに取り上げられて問題化するに違いない。

あることが、「実在したこと」を証明することは容易なんだけど、「実在しなかったこと」を証明するのは非常に難しい。殆ど不可能ではないかと絶望しそうになる程だ。
江戸しぐさが滑稽なのは、証明することが容易なはずの「実在したこと」を証明できないところにある。

原田さんにご教示していただいた「商人道「江戸しぐさ」の知恵袋」を読もうと努力しているのだが、脇道に逸れてばかりで全然進んでいない。ただ、気付いたのは、「クラゲしぐさ」のおかしさ。恐らく近年日本海側で話題になったエチゼンクラゲの大量発生がヒントになっているものだと思う。

クラゲの大量発生の原因は、海の富栄養化や地球温暖化が原因だと言われている。

今より気候が温暖だった時には、クラゲが大量発生した可能性もないとは言えないが、実は江戸時代は平均気温が低かったことが明らかになっている。もちろん、当時の江戸湾が富栄養化しているはずもないので、クラゲの大量発生が「江戸しぐさ」となるほど頻繁に発生したとは考えにくい。当然テレビも新聞もない当時、日本海側でエチゼンクラゲが仮に大量に発生したとしても、江戸在住者に情報が伝わったとも思えない。

一応図書館で、江戸時代にクラゲが発生したという記録がないか探したが、今のところ見つけられていない。
実在しなかったことを証明することはやはり難しいので、今日はここまで。

今日から少しづつ表記の本について誤りを指摘して行くこととします。
例によって、本からの引用部分は『』内に記します。

序章は省略。後々出てくるので。

p19 『今日では禁句になっている「いなかっぺい」はこの井戸の中の蛙が語源のようだ。』とあるが、これはもちろん誤り。
いなかっぺいは漢字で書けば「田舎兵衛」が変化したものである。
実はこれ以降も著者による意味不明な当て字がたくさん出てくる。頭が痛くなるほどに。

ここで言及しておきますが、著者の越川禮子氏、1926年生まれで、現在87歳。
恐らく、彼女の世代だと学問的な裏付けをとるような人なんて滅多にいないのだろうし、故にこれだけ馬鹿馬鹿しいものを平気で書くのだろうと思う。自分の思い込み=事実なのだろう。これは本人の倫理観の問題だけど。

次も同じp19。
『すみませんは「澄みません」と書く。』はずがありませんね。済みませんです。

P23『この世に命を授かった人間は、仏様の前ではみんな平等、上下関係はない』
あれまぁ。地獄の存在はどう説明するんですかね。仏教と平等思想は全く別。平等思想という近代思想が、仏教の始まった遥か昔に存在したはずがない。少し仏教をかじっていればわかることなのだが…。

今日はこれでおしまい。

江戸しぐさを考える前に、高岡英夫本の批判はすっかりご無沙汰になっているけど、
先に江戸しぐさネタを取り上げますので、待っててくださいね(誰も待ってないか)。

さて、今回はちょっとしたジャブ。
江戸しぐさで頻繁に語られる「傘かしげ」。

常識として知っておくべきなのは、江戸時代には、雨具としてはいわゆる菅笠などの笠や蓑といったものが普通使われ、雨傘を使うのはごく一部の豊かな人だけであったということだ。
そういう豊かな人が、何人も雨の日にわざわざ外出して、行く必然性の感じられない(豊かな人がそういう場所にどういう用事があるの?)狭い道ですれ違うなどというシチュエーションが果たしてどれだけあったのだろうか?
傘かしげという、言ってしまえばどうでもいいものがルール化されるほど頻発したとは考えられないのだ。

ああ、もう一つ、重要なことを書いておこう。
江戸しぐさ関連では必ずと言っていいほど標準語を江戸時代の江戸在住者が使用していことになっているようだが、現在の標準語はいうまでもなく関東弁(元々の関東弁に三河弁が混じったもの)に薩摩弁などが加わったもので、江戸時代にはなかったものなのだ。些細なことだけど、頭の隅に置いておきたい。

先日読者の方から教えていただいた 越川禮子『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』を手に入れた。
ページをパラパラめくったが、これは本腰をいれて批判しなきゃいかんと思うだけの酷さがあった。
とりあえず、書いていることのエビデンス、裏付けがないんですね。本当に酷い。
追い追い取り上げていくとしよう。

今日も江戸しぐさネタですぞ。

江戸しぐさ 先入観防ぐ「三脱の教え」

http://www.asahi-mullion.com/column/edo/60412edo.html

『江戸のルールでは、初対面の人に「年齢」「勤め先」「身分」を聞いてはいけないとされ、これを「三脱の教え」といいました。』

江戸時代の人たちに「勤め先」を持った人が果たしてどれだけいたことやら。

年齢はともかく、相手の身分なんていちいち聞かなくとも見た目でわかるだろうに。

こういうことが紹介されているようでは、やはり江戸しぐさは江戸時代のことに無知な人が捏造しているとしか思わざるをえない。

最近また、「江戸しぐさ」の記事の閲覧が増えている。

今日始めて気がついたが、Wikipediaの「江戸しぐさ」ノート欄でも、(タイミング的には、ちょうど私の記事が誰かに取り上げられた今年の3月頃から)議論が交わされているようだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:江戸しぐさ

しかしながら、ちょっと看過できない記載を見つけましたぞ。
『普段あまりこういう領域には顔を出さないのですが…あまりにちょっとと思いましたので複数の問題タグを文字通り複数分貼り付けました。怪しい「江戸しぐさ」: 杉岡幸徳の人生は夢のようにや江戸しぐさってやっぱりインチキではないか? : 無楽斎の極小右記といった批判は、単一のNPOによる出典にしか拠って居ない現状の記事内容に対し、かなり説得力ある内容になっています。特に前者は著作も出して居る人物によるブログであり、看過出来ない内容を含んでいると考えます。』

著作があるというだけで言えば、例えば疑似科学の著作を出している人物のブログも説得力があることになってしまいますぞ。
しかも私は会社のコンプライアンス部門に所属し、会社が合理的根拠のない広告を作成したりしないように、会社が法令遵守に務めるよう日々業務を遂行しているのです。ツッコミ力では作家先生に負けず劣らずですぞ。(ここのくだり、全部冗談ですからね。もちろん怒ったりしておりません。)

冗談はともかく、江戸しぐさ関係の方からはブログに一度も書き込みがない。
上記Wikipediaにおける江戸しぐさ擁護派の書き込みにも特に説得力がある論理なんぞ何一つない(特に笑えるのが以下の記載『少なくとも現時点で出典が多数あり、「江戸しぐさ」が教育現場にもありますのでご確認をお願いします。』…新手のギャグかなんかでしょうか。)ので、このままだんまりを決め込むのかもしれないですね。

でも皆さん、熱心に観察されていることに冗談でなく感動します。
『しかしNPOのホームページからは明治時代に弾圧された云々の記述が消滅した(一般的なマナーなのに弾圧受けたから消滅したというストーリーはどこへ)』なんて、指摘されるまで気づきもしませんでした。
…と書いたところで気がついた。
自分でも書いていましたね、削除されたかもしれないって。すみません。

自分の文を引用するのは気が引けますが、せっかくなので書いておきます。
『最近削除されたのかもしれないが、以前は、江戸しぐさのサイトには、「江戸しぐさは、明治政府から弾圧された。」とあったのだ。
「倫理観、道徳律、約束事というべきもの」という、人畜無害としか言いようのないものが弾圧されたというのだ。
「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」なのにである。それも文書が何一つ残っていないはずなのにである。
明治政府はなにをもってこの程度のものを弾圧が必要な程の脅威としたのだろうか。明治政府が求める理想的な国民像と、江戸しぐさが理想とするものに、わざわざ弾圧をしなければならないような違いはあるのか。
また少数のものにしか伝えられなかった「正確たる文書は現存」しない(たった約140年前のことなのにである)ような道徳律のようなもの、「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧する必要があるのか。
出版も何もされていない「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧することが物理的にはたして可能なのか。明治政府に弾圧されたという証拠、弾圧したという証拠も全く何一つ残っていないのである。たった一人の人間の「口伝」で、その存在を歴史的事実とするのは異常ではないか。』

以前にも書いたけど、歴史家などプロの学者はいちいち馬鹿らしいと思わず、こういう偽史や疑似科学などについて検証すべきではないだろうか。若い研究者がこういうことに手を出すと色物扱いされるかもしれないので、ベテラン勢には特にお願いしたいところだ。

今日アクセスを確認したら、やたらと数が増えていて驚いている。
どうやら「江戸しぐさ」の記事を閲覧してくださっているようだ。
何がきっかけかはよくわからないが、ありがたいことです。
私としては、執筆当時メディアがどこか取材でもしてくれないかと考えていたんですが、それはかなり甘かったようです(アクセス数も少なかったですしね)。いずれにせよ、今でも「江戸しぐさ」なるものの実在性を証明する根拠は何もない訳で、ネタに困っているメディアの皆さんや、社会学を専攻している学生の皆さんあたり、調査してみてはいかがでしょうか?


    江戸しぐさと称するものを推進する人たちがいる。

    ウィキペディアによれば、「江戸しぐさ(えどしぐさ)は、日本における江戸町方の商人道、生活哲学・道。」とのことであり、具体的には、

「しぐさは仕草ではなく思草と表記する。もともと商人しぐさ、繁盛しぐさといわれ、商人道、哲学として語られる。多岐にわたる項目が口伝により受け継がれたという。現代の世相に鑑み江戸人の知恵を今に生かそうという観点から教育界などで注目され始めている。かつ、一部小中学校の道徳の時間にも取りあげる動きも広がっている。商家に伝わる門外不出の未公開の処世術あるいは、倫理観、道徳律、約束事ともいうべきものであろうが、未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず芝三光(しば・みつあきら)(本名=小林和雄)とその後継者により普及されてきた。評論家の牛島靖彦によればそもそも商人(あきんど)しぐさを「江戸しぐさ」と命名したのは、江戸講最後の講師とされる、芝三光であるという。本件江戸しぐさを伝えてきたのはわずか一人であり、存在とか内容についても江戸時代の常識と一致しない部分があると批判する意見もあるが、商家の精神とか江戸人の知恵がちりばめられており、その本質とか存在意義を著しく損なうまでには至っていない。その後、芝の弟子の一人であった越川禮子が後継者として名乗りを上げ、NPO法人を設立し江戸しぐさの普及宣伝活動を行っている。」とある。

この「江戸しぐさ」について、私はかねてより如何わしいと感じており、それは自分だけがそう思っているのかと考えていたが、
杉浦幸徳さんという方が、その怪しさについて5年程前に既に指摘されていたことがわかった。

http://sugikoto.cocolog-nifty.com/kotoku/2007/03/post_dca7.html

    もう覚えてはいないけれど、私が「江戸しぐさ」に疑いを持つようになったのは、杉浦さんのサイトを閲覧したからかもしれない。(2013/9/3追記 パオロ・マッツァリーノさんの著書を読んだからだと判明。)

    さて、具体的におかしなところを指摘してみよう。



①「しぐさは仕草ではなく思草と表記する。」とあるが、「未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず」であるはずなのに、なぜ「思草と表記」すると言えるのだろうか。「多岐にわたる項目が口伝により受け継がれた」というより、その実在を証明する文書は何一つ残されていないのではないか。


②最近削除されたのかもしれないが、以前は、江戸しぐさのサイトには、「江戸しぐさは、明治政府から弾圧された。」とあったのだ。

    「倫理観、道徳律、約束事というべきもの」という、人畜無害としか言いようのないものが弾圧されたというのだ。
「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」なのにである。それも文書が何一つ残っていないはずなのにである。

    明治政府はなにをもってこの程度のものを弾圧が必要な程の脅威としたのだろうか。明治政府が求める理想的な国民像と、江戸しぐさが理想とするものに、わざわざ弾圧をしなければならないような違いはあるのか。
    また少数のものにしか伝えられなかった「正確たる文書は現存」しない(たった約140年前のことなのにである)ような道徳律のようなもの、「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧する必要があるのか。
出版も何もされていない「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧することが物理的にはたして可能なのか。明治政府に弾圧されたという証拠、弾圧したという証拠も全く何一つ残っていないのである。たった一人の人間の「口伝」で、その存在を歴史的事実とするのは異常ではないか。


③サイトには、「江戸時代は、260年以上もの間、戦争のない平和な社会が続いた、世界の歴史においても例のない時代でした。その平和で安心な社会を支えたのが「江戸しぐさ」という人づきあい、共生の知恵です。」
とあるが、

http://www.edoshigusa.org/about/concept/

「未公開かつ口伝であった」ものが、江戸社会を支えるほど普及していたはずがないではないか。「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」ではないのか。この程度のことでも、主張に整合性がないのはどういうことか。


 ④個別の「しぐさ」のおかしさについては面倒なので一々言及しない。
1番嘘だとわかりやすいものだけ記しておこう。
サイトや出版物では、「時泥棒」として、「断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる」と主張している。

http://www.edoshigusa.org/column/vol31/

既に言及した杉浦さんのブログに詳しく書かれているので、内容についてはご参照願いたい(他にも幾つか言及されているが、どれもごもっともな内容です。)が、一言だけ書いておこう。
当時、時計を所有する人はほとんどいなかったので、約束の時間に遅れることなど当たり前であったはずである。


 さて、これらの相矛盾する「江戸しぐさ」に関する主張について、全てを合理的に説明することができるとすれば、「江戸しぐさ」は捏造であるということであろう。
   もしそうではないというのであっても、少なくとも、現存する証拠が何一つない現状で、「江戸しぐさ」が存在したものとして、NPO法人が教育機関などを巻き込んで活動するのはいかがなものか。
少なくとも、検証に耐えうる証拠が見つかってからでも遅くはないだろう。 
    今のところ、学問的に見て、「江戸しぐさ」と呼ばれるものが実存したと判断できる根拠は全くない
(そう言えば近現代史の専門家は無視しているのかな。でもこういったものを放置しておくと、かつての「旧石器捏造事件」のように、取り返しのつかないことになってしまってからでは遅いのではなかろうか。)
し、失礼ながら、現在の「江戸しぐさ」推進派の行為は「江戸しぐさ的な精神」に反すると思われるのである。

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