無楽斎の極小右記

日々の雑感や読んだ本のこと、また西荻窪 をメインとした杉並区とその周辺の街歩き情報を中心にアップします。

タグ:国家

自民党の佐藤正久議員のツイートを紹介しよう。
『@SatoMasahisa: 今朝の参議院外交防衛委員会、社民党委員から「米軍基地は人殺しの基地」との発言あり。これは不適切発言であり、委員長が注意するかと思ったが、聞き流し。国会の議事録に載せることの是非を含めて自民党理事に検討を依頼した。在日米軍基地は安全保障の為にあるのであり「人殺し」の為ではない。』

またか、との感想。
まず言っておきたいのは、私はいつも自民に対して批判的な言動を行うが、では、社民党を支持するのかというと、小さな政府を志向するものとして絶対にあり得ないということである。
それはあらかじめ言っておくとして、今回の発言。
恐らく社民党の議員にもたいして深い知識はなく、従来のガチガチの左翼理論?に基づいたものであるとは思うんだけど、
それに対する今回の佐藤議員の発言は如何なものかと思う。
そもそも、私のような自由主義者からすれば、国家(当然それに属する軍隊)とは暴力装置•殺人装置であるとの認識である。政治学的にも別に何もおかしくないことですね。
当然、社民党が権力を掌握して政権を奪った結果樹立された国家も暴力装置であることは言うまでもない。
このような話、繰り返すけれども政治学的には別におかしくない議論であるし、左翼、言い換えれば全体主義国家に対峙すべき自民党の議員ならば当然知っておくべきことなのだが、佐藤議員は今更何を馬鹿なことを言っているのか、意味不明だ。
以前に言及したような気がするけれども、自衛隊出身者ってちょっとレベルが低いのではないだろうか。

アメリカで銃乱射事件が発生する度に、
銃規制が話題になる。
日本では保守を自称する人達も銃の規制には賛成であることが多いようだ。

でも、保守派がそれでいいのか。
世間にはならず者がいるから国家に頼らず自らを守るため(それだけではなく、国家の横暴から自らを守るためにも)武装するのだという意見、結局のところ国家が武装する(しかもその武装を強化しようとする)論理と同じなんだよね。
もし、自らの論理的な一貫性を追求するなら、市民の武装と国家の武装を共に強化すべきだという意見になるか、どちらもほどほどにすべき、あるいはどちらも放棄すべき、という三択しかあり得ないと思うのだがどうだろう?

「slave of the nation」

訳すと「国家に夢中」或いは「国家のとりこ」といったところだろうか。
最近の珍右翼にこれ程相応しい言葉はないであろう。

無論、「国家の奴隷」と翻訳することもできますんでね。

このページのトップヘ