最近また、「江戸しぐさ」の記事の閲覧が増えている。
今日始めて気がついたが、Wikipediaの「江戸しぐさ」ノート欄でも、(タイミング的には、ちょうど私の記事が誰かに取り上げられた今年の3月頃から)議論が交わされているようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:江戸しぐさ
しかしながら、ちょっと看過できない記載を見つけましたぞ。
『普段あまりこういう領域には顔を出さないのですが…あまりにちょっとと思いましたので複数の問題タグを文字通り複数分貼り付けました。怪しい「江戸しぐさ」: 杉岡幸徳の人生は夢のようにや江戸しぐさってやっぱりインチキではないか? : 無楽斎の極小右記といった批判は、単一のNPOによる出典にしか拠って居ない現状の記事内容に対し、かなり説得力ある内容になっています。特に前者は著作も出して居る人物によるブログであり、看過出来ない内容を含んでいると考えます。』
著作があるというだけで言えば、例えば疑似科学の著作を出している人物のブログも説得力があることになってしまいますぞ。
しかも私は会社のコンプライアンス部門に所属し、会社が合理的根拠のない広告を作成したりしないように、会社が法令遵守に務めるよう日々業務を遂行しているのです。ツッコミ力では作家先生に負けず劣らずですぞ。(ここのくだり、全部冗談ですからね。もちろん怒ったりしておりません。)
冗談はともかく、江戸しぐさ関係の方からはブログに一度も書き込みがない。
上記Wikipediaにおける江戸しぐさ擁護派の書き込みにも特に説得力がある論理なんぞ何一つない(特に笑えるのが以下の記載『少なくとも現時点で出典が多数あり、「江戸しぐさ」が教育現場にもありますのでご確認をお願いします。』…新手のギャグかなんかでしょうか。)ので、このままだんまりを決め込むのかもしれないですね。
でも皆さん、熱心に観察されていることに冗談でなく感動します。
『しかしNPOのホームページからは明治時代に弾圧された云々の記述が消滅した(一般的なマナーなのに弾圧受けたから消滅したというストーリーはどこへ)』なんて、指摘されるまで気づきもしませんでした。
…と書いたところで気がついた。
自分でも書いていましたね、削除されたかもしれないって。すみません。
自分の文を引用するのは気が引けますが、せっかくなので書いておきます。
『最近削除されたのかもしれないが、以前は、江戸しぐさのサイトには、「江戸しぐさは、明治政府から弾圧された。」とあったのだ。
「倫理観、道徳律、約束事というべきもの」という、人畜無害としか言いようのないものが弾圧されたというのだ。
「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」なのにである。それも文書が何一つ残っていないはずなのにである。
明治政府はなにをもってこの程度のものを弾圧が必要な程の脅威としたのだろうか。明治政府が求める理想的な国民像と、江戸しぐさが理想とするものに、わざわざ弾圧をしなければならないような違いはあるのか。
また少数のものにしか伝えられなかった「正確たる文書は現存」しない(たった約140年前のことなのにである)ような道徳律のようなもの、「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧する必要があるのか。
出版も何もされていない「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧することが物理的にはたして可能なのか。明治政府に弾圧されたという証拠、弾圧したという証拠も全く何一つ残っていないのである。たった一人の人間の「口伝」で、その存在を歴史的事実とするのは異常ではないか。』
以前にも書いたけど、歴史家などプロの学者はいちいち馬鹿らしいと思わず、こういう偽史や疑似科学などについて検証すべきではないだろうか。若い研究者がこういうことに手を出すと色物扱いされるかもしれないので、ベテラン勢には特にお願いしたいところだ。
今日始めて気がついたが、Wikipediaの「江戸しぐさ」ノート欄でも、(タイミング的には、ちょうど私の記事が誰かに取り上げられた今年の3月頃から)議論が交わされているようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:江戸しぐさ
しかしながら、ちょっと看過できない記載を見つけましたぞ。
『普段あまりこういう領域には顔を出さないのですが…あまりにちょっとと思いましたので複数の問題タグを文字通り複数分貼り付けました。怪しい「江戸しぐさ」: 杉岡幸徳の人生は夢のようにや江戸しぐさってやっぱりインチキではないか? : 無楽斎の極小右記といった批判は、単一のNPOによる出典にしか拠って居ない現状の記事内容に対し、かなり説得力ある内容になっています。特に前者は著作も出して居る人物によるブログであり、看過出来ない内容を含んでいると考えます。』
著作があるというだけで言えば、例えば疑似科学の著作を出している人物のブログも説得力があることになってしまいますぞ。
しかも私は会社のコンプライアンス部門に所属し、会社が合理的根拠のない広告を作成したりしないように、会社が法令遵守に務めるよう日々業務を遂行しているのです。ツッコミ力では作家先生に負けず劣らずですぞ。(ここのくだり、全部冗談ですからね。もちろん怒ったりしておりません。)
冗談はともかく、江戸しぐさ関係の方からはブログに一度も書き込みがない。
上記Wikipediaにおける江戸しぐさ擁護派の書き込みにも特に説得力がある論理なんぞ何一つない(特に笑えるのが以下の記載『少なくとも現時点で出典が多数あり、「江戸しぐさ」が教育現場にもありますのでご確認をお願いします。』…新手のギャグかなんかでしょうか。)ので、このままだんまりを決め込むのかもしれないですね。
でも皆さん、熱心に観察されていることに冗談でなく感動します。
『しかしNPOのホームページからは明治時代に弾圧された云々の記述が消滅した(一般的なマナーなのに弾圧受けたから消滅したというストーリーはどこへ)』なんて、指摘されるまで気づきもしませんでした。
…と書いたところで気がついた。
自分でも書いていましたね、削除されたかもしれないって。すみません。
自分の文を引用するのは気が引けますが、せっかくなので書いておきます。
『最近削除されたのかもしれないが、以前は、江戸しぐさのサイトには、「江戸しぐさは、明治政府から弾圧された。」とあったのだ。
「倫理観、道徳律、約束事というべきもの」という、人畜無害としか言いようのないものが弾圧されたというのだ。
「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」なのにである。それも文書が何一つ残っていないはずなのにである。
明治政府はなにをもってこの程度のものを弾圧が必要な程の脅威としたのだろうか。明治政府が求める理想的な国民像と、江戸しぐさが理想とするものに、わざわざ弾圧をしなければならないような違いはあるのか。
また少数のものにしか伝えられなかった「正確たる文書は現存」しない(たった約140年前のことなのにである)ような道徳律のようなもの、「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧する必要があるのか。
出版も何もされていない「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧することが物理的にはたして可能なのか。明治政府に弾圧されたという証拠、弾圧したという証拠も全く何一つ残っていないのである。たった一人の人間の「口伝」で、その存在を歴史的事実とするのは異常ではないか。』
以前にも書いたけど、歴史家などプロの学者はいちいち馬鹿らしいと思わず、こういう偽史や疑似科学などについて検証すべきではないだろうか。若い研究者がこういうことに手を出すと色物扱いされるかもしれないので、ベテラン勢には特にお願いしたいところだ。