無楽斎の極小右記

日々の雑感や読んだ本のこと、また西荻窪 をメインとした杉並区とその周辺の街歩き情報を中心にアップします。

カテゴリ: 回想

という番組が今放映中。見ていないけど。
東大を目指せる環境にいるだけ幸せである。
羨ましい。我が家には子供をそんなところに通わせるだけの資金的な余裕はなかったし、両親も最終学歴は国民学校で、遺伝的に優位な素養もない。
普段の貧しい生活のことについて色々と気になることが多く、
受験勉強に没頭する(しかも都会の超一流校を志望して)とか、全く不可能だった。
貧しいことが悩み事だったから、恋愛なんかにも縁がなかったなぁ。(容姿はもちろんよくありませんぞ。)
貧乏人風情で…とか考えてしまうんですよね。
まぁこんなこと、自分にとってはどうにもならないことなので、もし今悩んでいる人がいたら、自分の境遇を嘆くより自分が今できることを考えて前向きに行動していただきたい。


K君の思い出

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120924-OYT1T00177.htm

こういう事故を耳にすると思い出すのが、K君のこと。
保育園児の頃からの幼馴染みで、小学校の途中迄、そして中学の三年間一緒の学校に通っていた。
彼にはちょっと恰好をつける気取り屋的なところがあったんだけど、根はシャイないい奴だった。私の少年時代の親友N君と比べると、家が少しだけ離れているので仲が良い親友だったとまでは言えないけど、いつもいい関係だった。
最後にあったのは予備校、同じ代ゼミに通っているころ(そう言えば、彼はどこの高校を卒業したのか聞いていなかったな)、たまたま約4年振りに再会し雑談した。「彼女ができた」とか少し恥ずかしげに、でも嬉しそうに話していたのが印象的だった。成り行きで当時聴いていた「カーティス ブロウ」(笑)のレコードを録音したカセットテープを貸したことを覚えている。

その後大学に入学してどれぐらい経ってからだろうか。全く覚えていないんだけど、恐らく20歳前後だった或る日、親が慌てて持ってきた朝刊の記事でそのニュースを知った。K君が車ごと港に転落して亡くなったことを。

葬儀には行かなかった、いや、余りにもショックな出来事で、辛くて行けなかった。同級生では、中学2年か3年の約1年程仲良くした人が交通事故で亡くなった(後から聞いた話では、彼は複雑な家庭環境で、自暴自棄になっていたらしい)り、高校の同級生が肝炎で亡くなったりしており、未だに心が痛む。
K君の葬儀に行くべきだったのかどうか、今こそ仏壇を拝ませてもらうために行くべきなのかどうかについても、ずっと考え続けている。

あれは入社して一年目だか二年目だか。
お盆休みのない会社だったので、夏休みは大体九月にとっていた。
子供の頃旅行らしい旅行には行ったことがなかったので、旅行には飢えていた。青春18切符を買って、常磐線の各駅停車に乗り、仙台へと向かった。
誰も乗り降りしない田んぼのど真ん中の無人駅に停車しても、律儀に発車ベル(というより音楽ですね)をいちいち鳴らすのが印象的だったのを覚えている。まだまだ暑かったので窓を開けて、ウトウトしながら、のんびりと進む風景をまったりと楽しむ何も起こらない一日…。

あの時自分が見ていた風景のどれだけが、津波で流されてしまったのだろう?また、あと何年経てば常磐線で同じような体験ができるのだろう?

    そう言えば今はお盆休みか。そろそろ夏バテでゆっくり休みたいものだ。一応、来週後半に少し休みを取るのと、来月後半にまとまった休みを取るので、それまでの辛抱だ。

    社会人になってから、今の勤務先で2社目なのだが、ともに休みはカレンダー通りで、お盆だからといって休んだことは無い。
自ら希望した会社なので、当然そのことに文句がある訳では無い。

    会社勤めって、就職前に考えていたことと現実はずいぶん違うものだと分かった(私の親は普通のサラリーマンじゃなかったから、良く分かっていなかったのだ。)が、これについてもまぁそういうものかと考えている。
    いずれにせよ、生まれ育った環境は悪かったけど、自分のそれなりの努力と、それ以上に運がよかったのだろう、最初の就職先は大企業だったし(給料はあまり高くなかったが)、サラリーマンとしては比較的恵まれた給与の出る今の会社に転職できたので、かなり恵まれていると言っていいだろう。今はね。

    ただ、学生の頃は、金の心配や様々なコンプレックスに押しつぶされるような毎日を過ごすんじゃなく、普通に若者らしく、恋愛なんかに悩んだりしたかったと、今になって思う。残念ながら、もう取り返しのつかないものだ………。残念………。

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