無楽斎の極小右記

日々の雑感や読んだ本のこと、また西荻窪 をメインとした杉並区とその周辺の街歩き情報を中心にアップします。

カテゴリ: 考える

「いつかはゆかし」のアブラハム・プライベートバンク(以下、ア社)の記事が出てますね。

有料サイトである日経新聞の記事を除いてまとまったものとしては、これ。
http://blogos.com/article/71058/

ア社は投資助言会社なので、本来であれば、助言した投資者からの手数料を収入源としていることになるんだけど、もし顧客に対して奨めた投資先企業から手数料をとっていたとなると、第二種金融商品取引業になるんですね。で、これについては無登録。事実なら、知らずに無登録でやっていたのか、故意に隠していたのかということになるが、ちょっとした投資詐欺師ですらわかっているこの仕組みをプロであるはずのア社が知らなかったとは考えにくい。(ア社には信じられないほどの馬鹿しかいなかったということも考えられるが、経営陣が抵抗しているようだから、故意でしょうね。)

一番の問題は、もしア社が投資助言会社だったなら、投資者は、投資先としてそれなりの数の選択肢から選ばれた企業を投資先として助言されることになるでしょうね。しかし、ア社自身が手数料を受け取れる企業だけをア社が薦めていたとすれば、投資者にほとんど選択の余地はなかったでしょうね。それなら、普通に手数料の安い国内の投資信託やETFに投資した方がマシですからね。(まぁ、ア社のネーミングに“富裕層”的なイメージを妄想して、そこに価値を見出す人もいるでしょうけど。)

実際のところ、詳しいスキームはよく分からないし、実際に処分されるかどうかもまだ分からない。
ただ、NHKの記事では、「アブラハム・プライベートバンクの代表者は、取材に対して「ファンド側からは関連会社が広告手数料を受け取っているが、当社とは関係ありません。勧誘とみなされる行為は行っていません」と話しています。」とのことだけど、そんな屁理屈はまぁ通用しないっていうか、情けない。

先日、江戸しぐさに関するサイトを閲覧していたら、

http://www.food104.com/bn-ata/aguri/vol22.html

次のような記述があった。
『たとえば、江戸では「人間」を「じんかん」と読ませていた。これは人と人には良い間合いが必要と言うこと。』

う〜ん。違うんだな、いつもの通り。
「人間」という語は漢文、すなわち過去の中国語からくるもので、「じんかん」と読むのが元々の読み方なのであって、別に江戸でじんかんと読ませていたわけではない。意味も「俗世間」とか「世の中」と訳されるもので、呉音で「にんげん」と読ませる場合の「ホモサピエンス」という意味とは少し違う。(違うけれども、意味は通じてしまう。)
「人間至る処青山あり」という言葉(詩)もあるよね。(にんげんいたるところあおやまあり、と読んではいけない。)
ヘンテコリンな偽史を吹聴する方々のトンデモ日本語解釈には呆れるばかりである。

というようなことを考えていて思ったのが、自称保守の皆様(でなくてもいいけど)に伝えたい言葉の問題。

よく言われるようにまずはいわゆる歴史的仮名遣いの問題がある。これについてはしばしば他のブログなどでも言及されているので、ここでは論じない。ただ、あらゆる知識レベルの人に漢字を含めた文章を読ませるためにはある程度仕方がなかったのではないかとは思う。現に正字正かな遣いの人も、変換ツールとか使ってますしね。

でね、実は、こういったいわゆる歴史的仮名遣いについてはちょくちょく話題となったりするのだけど、まず絶対に無視されているのが、「右横書き問題」なのだ。
手元にある本、文庫本なんかを手にとって開いてみよう。
こんな感じですね。

かあ
きい
くう
けえ
こお

これが縦書きで一行が三文字だとこう。

こきえあ
くおい
けかう

ここまで書けば分かるだろう。一行一文字だと、

こけくきかおえういあ

となる。
本来の日本語では、「右横書き」こそが正しいのであり、現在の左横書きは日本語のルールを無視したものなのである。
文法における保守主義者よ、何故抗議しない。正字正かなよりも問題ではなかろうか。

と、問題はこれだけではない。
明治20年から書き始められた日本初の言文一致体小説である、二葉亭四迷の「浮き雲」を見てみよう。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000006/files/1869_33656.html

読んで理解できますか?
本文は読みやすいのだが、はしがきや序文なんて、さっぱり理解できない人の方が多いのではないだろうか。
でも、明治の知識人にとっては読めて当たり前なのが、この漢文訓読体だ。当然江戸時代以前に書かれたものも、基本的にこれが理解できていれば、ほぼ問題なく読める。

さすがに、私もこれを現代社会に復活させろとは言わない。
だが、「日本の伝統的な国語」を語るのであれば、いわゆる歴史的仮名遣いだけでお茶を濁すだけでなく、ここにまで言及すべきではないだろうか。
ブログだって、是非漢文訓読体で書いて欲しいものだ。

最初の投稿内容を見てある程度の予想はしていたのだし、無視しておけば良かったともかく多いに反省している。
またもや投稿してきたストーカー、というより、はっきり言って○っている(自主規制)。
初回に投稿してきたのはIPアドレス
117.53.15.12
ドメインはケーブルテレビ足立のもの。
2回目以降は
203.205.102.239
佐世保ケーブルテレビジョンのものだ。

結局のところ、以前にも書いたように、反反捕鯨でしかないのだ。捕鯨を今後とも継続しようとするなら、反捕鯨の人たちを説得する必要があるはずなのだが、そんなことは考えておらず、反捕鯨者(私は捕鯨をするなとまでは考えていないが)を侮辱し、ともかく自分の「正義」を披露したいだけなのだろう。極めて幼稚だし、今まで書き込んだように知的なトレーニングすら受けていない。

知的な、と言えば、日本捕鯨協会のHPはこちら

http://www.whaling.jp/taiou.html

「反捕鯨団体の言われなき批判に対する考え方」

批判が「言われない」のであれば、反論の必要もないだろう(笑)。
そう、謂われなき、の間違いなんだよね。少なくとも約5年この誤記があって、誰も気付いていない。
こういうことからも反反捕鯨運動が単なるアンチでしかないのではと考えてしまうのだ。本気で捕鯨を継続しようとどこまで真剣に考えているのだろうか。
(追記)本人によれば、1回目と2回目以降とは別であるとのこと。
その旨、メールで送ったとのことだが、届いていない。ただ、そんなことで嘘をつくこともないだろうから、別人であろう。

何といえばいいのだろう、ちょっと「あれ」な方のようだ。
例の誰が何だか説明のない独りよがりな初回の書き込み自体でそれをある程度予想してはいたが、結局のところ、「その間違いを下記のリンクとともに指摘しても著者本人は、その投稿自体(Mixi内)を削除し アクセスまで禁止した。」のはそれが原因だったのだろうと想像できる。

「あれ」度合いが一番酷いのは、誰が書いたのかもわからないネット書き込みへのリンクを平気で貼り付けるところ。何かそれで証明したつもりにでもなっているのだろうか?ネトウヨサイトなどにもこういう意味不明なリンク貼り付けがよく見られるけど、痛い。知的なトレーニングは受けていないのだろうか?

彼の主張で一つだけいいのは、「「食」は「食うべき」によって選ばれたり残ったりするのではなく、「食いたい」という要求・需要によって残るので、日本には虫や犬食の店が無いのです」という主張。
それはその通りだし、もし日本がこれ以降も捕鯨を実施するためには、日本の伝統食とか妙な論法を使わず、「自分達は食べたいものを食べるので邪魔しないでくれ」と主張するしかないだろう。もちろんそのためには、逆に他国の人が何を食おうと干渉してはいけないし、他国が日本近海で、例えばマグロ漁などを行っても反発してはいけないだろう。

一つだけ指摘しておこう。
「それからね、鯨肉は塩蔵加工して産地でも保存食として利用されてますよ?「塩鯨」「タレ」って知らないかな?
干し魚、棒鱈が山で食われてたのに、鯨はそうじゃなかった、なんてあまりに物を知らなすぎるよねw」

産地でも保存食として利用されてますってのは間違いで、産地でしか保存食として利用されていなかった、というのが実情。
「タレ」なんて商業や物流の発達した今でも、基本は房総半島でしか利用されていないだろうに。
彼は物を知っておられるようなので(笑)、捕鯨業が盛んな海岸沿い以外で鯨が食されていた根拠を文献でご存知なのだろう。

ブログにある投稿があった。
http://murakusai.doorblog.jp/archives/29231153.html

失礼ながら論理的な反論では無いし、反論にすらなっていないと思うが、考えていることを記事にしてみようかと思う。

投稿者のお薦めする(多分)、三浦淳『鯨とイルカの文化政治学』を、いつも利用する丸善で探したのだが、在庫切れだったので、まだ読んでいない。図書館で気がついた時に探す。

三浦氏のサイトで紹介されている目次は以下の通り。

序章 『野生のエルザ』と藤原英司
第一部 欧米人の鯨=イルカ観
  第1章 小松錬平-ロビン・ギル論争を再読する
  第2章 マッドサイエンティストのイルカ高知能説――ジョン・C・リリー
  第3章 「科学者」は信用できるか――カール・セーガン
  第4章 映画と現実の狭間――ジャック・マイヨール
  第5章 科学かオカルトか――ライアル・ワトソンとホラス・ドッブスに見る英国知識人の鯨=イルカ観
  第6章 大国意識とダブルスタンダードと神秘主義――ジム・ノルマン、ロジャー・ペイン、ジョーン・オーシャンに見る米国人の鯨=イルカ観
 第二部 日本人の鯨=イルカ観
  第7章 ヨーロッパ植民地帝国の価値観を継承する者――藤原英司
  第8章 人生の蹉跌がイルカ主義を呼ぶ――小原田泰久、野崎友璃香、姫川裕里
  第9章 留学・宣教・商売の間で――水口博也
  第10章 反日言説としての反捕鯨(一)――ジャーナリスト原剛の場合
  第11章 反日言説としての反捕鯨(二)――研究者渡邊洋之の場合
  第12章 反日言説としての反捕鯨(三)――エコロジスト星川淳の場合
 結論に代えて


基本は、いわゆるエコロジストや動物愛護者を批判する内容のものであるようだ。しかし、私は動物愛護の観点から鯨漁に反対しているわけではない。そもそも日本の鯨肉食は日本の伝統なのか疑っているのと、仮に日本の伝統であったとしても、その伝統に従って、日本近海で沿岸漁業の一環として鯨漁を続ければいいだろうと言いたいのだ。江戸時代にオーストラリア近海まで行って西洋の漁法で過剰な鯨漁をしたはずがないでしょうと。その過剰な鯨漁で生態系を狂わせるのではないかと危惧しているのだ。

ちなみに、三浦氏の本業はドイツ文学(しかもハインリッヒ・マンに特化したかのようなタコツボ研究)で、鯨については特に専門でもないようだ。
この目次の最後の方、「反日言説〜」というものを書いていることをあわせて考えると、最近の自称保守連中に多い、本業(ドイツ文学)では食えないから、反反捕鯨運動で食っていこうと考えている方なんだろうかなと思う。
失礼ながら、基本、反日云々言っている奴に、ロクな者はいないと考えてほぼ間違いないと私は考えている。(但し、反捕鯨「団体」の運動には全く賛同できないけどね。)

さて、この投稿者、「山で修行する僧侶が、猪を食べたいがために「山鯨」(思いつくようなポピュラーなもの)と称して食べたくらいである。」と書いている。
もちろん、鯨という名前位は知っていただろうね。僧侶は当時の知識人であったのだから。でも、食べられないこそ、山鯨という紛い物を食べていたんでしょ?
日本の食文化というほど普及していたのなら、山鯨という紛い物なんぞ食べずに、鯨そのものを食べていたでしょう。前にも書いたかもしれないが、冷蔵庫も何もない時代に、仮に鯨が獲れたとしても、鯨漁が行われていた漁村以外の人が食していたとは考えられない。解体しているそばから腐敗するでしょ?当たり前だけど。

反捕鯨運動に反対するのは、まぁ、勝手にやっていなさい。捕鯨は日本の伝統で、鯨肉食も日本の伝統だと主張するのも別に構わないでしょう。
ただ、そういう人達が、日本のほぼ全域で昆虫食が行われていたことに言及しないのは滑稽だ。(日本の伝統だからと言うのはもちろんただの建て前で、鯨漁には様々な利権があるからなんでしょうね、実際は。)何故、昆虫を食えと言わないんだ(笑)?どちらがよりポピュラーな日本の食文化であるか、言うまでもない。他にも、今では残っていないけど、犬も各地で食べられていたのだ。日本の伝統食を調べているのなら、それぐらいは知っているよね。

極論を言おう。反反捕鯨の皆さんの多くは胡散臭いのだ。論理的な一貫性がない。日本の伝統食ガーというのなら、鯨より昆虫や犬を食え。鯨やイルカが愛らしいから食べるべきでないと主張する欧米人に反発するのなら、当然犬も食うべきである。

投稿者はこうも書いている。
「近年 栄養や供給(家畜は、飼料や病気で出荷・値段が安定しない)的にも見直されて学校・病院の給食などの利用で鯨肉の需要は、増加している。」
学校などで鯨肉の需要が増加しているのは、国によるごり押しですね。 日本に鯨肉食が普及したのは、たんぱく質が不足した戦後に給食の食材として利用されたからなんですね。
おかしいのは、「家畜は、飼料や病気で出荷・値段が安定しない」という記述。養殖できない天然物、成長するまでに多くの時間とエネルギーを費やす鯨が家畜の代替になるはずがない。その逆、鯨など野生生物が獲れなくなる場合を考えて、短期間で生育できる家畜が飼育されるようになったのだ。
ふふふ、もちろん、病気に強く、仮に病気になっても狂牛病などのように人に感染しない、飼育にコストがかからず、短期間で生育できるのは昆虫なのだ。
繰り返す。昆虫を食おう(笑)。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51864901.html

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51865027.html

参院選立候補者の山本太郎氏に対して、何だか必死になっている池田さん。
私自身は山本太郎氏を全く評価しないし、当然投票するわけでもない。逆に池田氏については結構評価しているのだが、今回の池田氏による批判の内容は異常だ。

山本が中核派の支援を受けている(ただし、池田氏は「彼の運動の背後に組織があることは確実だ。」と述べているが、その根拠はあやふやで、具体的な証拠があるわけではない。)→中核派はかつて(40年ほど前)内ゲバで殺人事件を起こしていて、犯人は逮捕されていない。→山本が国会議員になれば、大変だ、と言うもの。

当時それらの事件で中核派メンバーが容疑者として指名手配されたんでしょうかね。されていなきゃ、犯罪者ではない。
しかも、発生から約40年も経っているのに、生まれてすらいなかったであろう今のメンバーもまるで殺人者であるかのような書きぶりだ。

日本の過去の戦争の犯罪を蒸し返す連中とレベルが同じではないか。

天災は忘れた頃にやって来る。
ブログは忘れた頃に更新する。
というわけで、家康が天下を取れた理由として前回に挙げた理由はこちら。

(1)豊かな地域に生まれたことと、生まれたタイミングの良さ。

(2)本人の寿命の長さと、織田信長や豊臣秀吉の寿命の短さ。

(3)他の誰でもない今川義元の人質となったこと。

(4)子沢山だったこと。

(5)いくさがそれほど強いわけではなかったが、自分が大負けするような戦いには遭遇しなかったこと。すなわち、本当に強い相手は家康が天下を取ろうとした頃には殆どが亡くなっていたこと。

まず(1)豊かな地域に生まれたことと、生まれたタイミングの良さ。
当時の武将として誰もが戦上手だと考えるだろう武田信玄。彼は言うまでもなく甲州を本拠地としていたのだが、農業その他の石高で言えば、あまり豊かではないところだ。それでも信玄時代は金山を採掘することで何とかやっていけたが、その子供の勝頼の代になると金も枯渇することとなり、勝頼自身は信玄時代よりも領土を拡げたにもかかわらず、信玄のいわばツケを払わせられる形となって、結局は財政難が間接的な原因(直接には長篠の戦い)で滅びることとなったのだ。
それと比較すれば、豊かなコメの産地である濃尾平野を本拠地とした家康らがいかに恵まれていたか。

次に生まれたタイミングの良さ、というのは、(2)の織田信長や豊臣秀吉の寿命の短さや、(5)の本当に強い相手は家康が天下を取ろうとした頃には殆どが亡くなっていたことにも関わってくることなので、後述しよう。
あっ、(2)はそのまんま。信長がもう少し長生きすれば、秀吉の天下はなかっただろうし、当然家康の天下もなかったと考えられる。
また、信長が長生きしなくとも、秀吉がもう少し長生きすれば家康の天下取りが実現したか疑わしい。

次に(3)他の誰でもない今川義元の人質となったこと。
これは結構重要だと思う。
徳川史観では、今川義元の人質となっていた時期には、周りから虐げられていたというようなことが書かれていたりするのだが、実際のところ、今川家譜代と同様の扱いを受けていたわけで、決して不遇な時代を過ごしていたわけではない。
今川義元自身、家康がそう呼ばれる前には「東海道一の弓取り」と称されるほどの勇猛な武将である(当たり前だけど、武田氏や北条氏と向かい合っていたわけですからね)。当時の一流の武将の傘下にいたわけだから、随分と恵まれていたと言えるだろう。

ああ、眠くなってきた。続きはまた次回に。

ジャレド•ダイアモンド風の題名にしてみました。

最近、ツイッターでウナギが絶滅の危機にあるというツイートを読んだ。
実はウナギ、5年について一度ぐらいしか食べない(嫌いではないのだが)ので、特に思い入れはないんだけど、色々と考えさせられる。
以前ツイッターでちょっとつぶやいたのだが、三重県の桑名市でハマグリの漁獲量が激減したんだけど、その後地元の漁協の努力が実って、今ではそこそこ漁獲量が復活しているという事実がある。
これだけではなく、他にも事例はいくつもあるのだけれど、地域の漁協で対応できる沿岸漁業レベルでは、皆で示し合わせることで水産資源を保護できるのだ。しかし、沿岸漁業ではないウナギの場合(後に鯨についても言及する)、のようなものでは途端にただの漁獲競争になって、資源保護などという観点がスッポリと抜け落ちてしまうようだ。

現在、ウナギの生息数は激減しているらしい。生態系ではその分を埋めている生物が何だかわからないけれども増えているはずだ。
もし仮に、世界各国がウナギの漁獲を制限することになっても、これまでのウナギのニッチを埋めてきた生物とウナギとの競争があるわけで、
単純にウナギの生息数が増えるわけではないだろうと思う。

さて、ウナギと同様に日本人が乱獲しているのは鯨である。
杉岡さんが指摘するように、鯨は日本の伝統食ではないだろう。

http://sugikoto.cocolog-nifty.com/kotoku/2010/03/post-40f0.html

多くの地域で食べられていたのは昆虫であるし、今では廃れているが、鯨食よりは犬食の方が盛んだったかもしれない。

まあそれはよい。現在日本人が食する鯨は年間4000トンとのこと。

http://www.j-cast.com/2012/11/18153822.html?p=all

10トンの鯨だと400頭分だ。数でいえば大変な漁獲量ではなかろうか。
ただ、日本人一人あたりの消費は年間40グラムだ。これが日本の伝統食とやらの実態である。しかも、同数の鯨肉を在庫として抱えているのだ。

伝統的な漁獲法ではない漁法で、わざわざ遠洋にまで出かけて、調査捕鯨を称し、食べもしないのに鯨を乱獲していると指摘されて反論できるだろうか。鯨肉が余っているのに鯨漁を強行しようとするのには何か利権があるのではないかと思う。

興味深いことに、業界団体はこういうコメントを出しているそうだ。

「商業捕鯨再開を目指す日本捕鯨協会は「世界の鯨類が食べる海洋生物の量は世界の漁業生産量の3~5倍に上る。クジラを間引くことで人間が魚を利用することができる」などと反論している。」

この内容が科学的に正確であるかどうかは分からない。だが少なくとも、鯨が生息している状態でバランスが取れているのが生態系なのであって、人間が勝手に間引くと称してそのバランスを崩せばどうなるか。
ごく一部の鯨利権の方々のエゴが原因で、世界的な海洋生態系のバランスがメチャクチャになっては困るのだ。


(注意)
良い子へのお知らせ
欧米人がクジラを獲るなと主張するのに対抗して、一部の日本人は、「だったら欧米では牛を食うな」と主張することがあります。
言うまでもありませんが、クジラは野生生物。牛や豚は人が食するために改良された家畜なので、その指摘は全くの的外れです。その証拠に、日本人が家畜である馬を食べても欧米人は問題にしません。
こういう一部の日本人の主張、グローバルスタンダードではバカにされるだけなので気をつけましょう。

最近の自殺に関するニュース。

http://www.yamagata-np.jp/news/201306/24/kj_2013062400672.php

こういう事件、本当に遺族が可哀想で仕方がない。

あえて言おう。飲酒運転自体は誰にも迷惑をかけていないのだから、交通違反として摘発するのはともかく、懲戒免職はやり過ぎである。
飲酒運転が原因で発生した人身事故があれば、厳しく対応する。それだけでいいじゃないか。
誰も被害者がいない「罪」を摘発するのって、馬鹿らしいと思いません?

もう1件はこちら。

http://www.j-cast.com/2013/06/25177961.html

確かに、小泉氏の言動は馬鹿げているし異常だけど、それは支持者が選択したのだから仕方がない。ただ、ブログをわざわざ炎上させる人たちには困ったものではあるが、犯罪を犯したわけでもないのに、自殺するのはちょっとナイーブすぎる面がない訳ではない。自己中心的で、自意識過剰だったのだろうか。

(続き)

このようなブログ記事があると教えられた。

http://blog.livedoor.jp/kyoclinic/archives/4505247.html

ちょっと普通とは思えない極端な言動には理由があったのかもしれない。

何にせよ、残された人間にとって、肉親の死として自殺ほど受け入れ難いものはない。

日蓮正宗のチラシがポストに投函されていた。
創価学会系の雑誌で敵視されている日蓮正宗、逆に創価学会よりはまともな宗派だと考える人がいるかもしれないが、実は結構なあれらしいんだが、それはここでは言及しない。
チラシにはこうある。
“あらゆる悩みを解決する 力ある仏法の存在 家庭の中がうまくいかないのはなぜだろう。”
なぜだろう、って、妻子を捨てて修行に走った釈迦の教えから生まれた仏教に、家庭問題が解決できると考えるのであれば、その仏教とやらは、実は仏教を称した別のもの、例えば日蓮教と呼ぶべきものではなかろうか。
他にもいかにも現世利益を重視した日蓮宗系の教団が作成したものらしい文言があるが、少し間違えれば、幸福の科学的な主張に繋がりかねないものとなっている。興味深い。

前回の続き。
まず、恐竜を考えてみよう。恐竜はもともと2足歩行のものから進化していると言われている。例えば、ティラノサウルスの復元図を見てみると理解しやすいんだけど、後ろ足の生えている上部の腰の部分を支点として上半身と、太い尾のある下半身とがバランスをとっている状態で歩行している。4足歩行のものも元は2足歩行のものから進化しているので、体重の重心は後ろ足にかかっていることが、足跡化石の調査から判明しているのだ。

哺乳類はどうかというと、先祖から4足歩行していたわけだが、現在の動物を見てもわかるように、恐竜とは違い前足の方により大きな荷重がかかっている。頭は重くなっているし、恐竜と違って尻尾は貧弱ですからね。でも前回書いたようにもしそもそも人の先祖の前足が短くなり始めたとしたら、到底4足歩行を続けることは出来なかっただろう。

もともとサルは樹上で生活していたので、姿勢自体は直立状態になっていたわけで、直立という姿勢には違和感がなかったのかもしれない。

以前に本をまとめ買いした時に、「直立歩行 進化への鍵」を購入したが、例によって未だに全く読んでいない。

これから述べることは完全に根拠のないいわば妄想ですので、悪しからず。

人は何故直立歩行を始めたのか。
私が何の根拠もなく考えているのは、後脚よりも前脚の方が短くなったからではないかということだ。
例えば、キリンの首が長くなったのは、樹木の高いところにある葉っぱが食べられるように長くなったと思われているかもしれないが、実際はたまたま首が長くなった種類が絶滅せず生き残ったのが原因だと考えられている。
そんなに簡単に首が伸びるのなら他の生き物だって首が伸びるだろう。シマウマとかね。

人間も実際のところ、たまたま手が短くなってしまった種類が、止むを得ず直立歩行を始めたのではなかろうか。
鶏が先か卵が先かの議論のようになってしまうけど。

唐突だが…。以前に書いたかも知れないけど、寝付きが悪い時にはある事を考えていると程なくして寝ることが多い。
それはプロレスの所謂ビッグブート(big boot)という技。分かりやすく説明すれば、ジャイアント馬場の十六文キックのことである。
何故これを考えると眠くなるのかよくわからない。
退屈な技ではあるんですけどね。
ちなみにこの技、長身レスラーが使うんだけど、これを必殺技にしていたのが、ジャイアント馬場とアーニー•ラッドというレスラーで、この技からすぐに相手をピンフォールしていた。ともに長身•痩せ型で、力技のないレスラーだという点に共通点がある。
で、私はアレックス•スミルノフというレスラーのビッグブートを想像すると特に眠くなることが分かったのだ。
皆さんも是非試してください(嘘)。

さて、休日には個人的に日帰り温泉なんかに行くことにハマっているのだが、自分が好きなぬる湯系の浴槽に浸かっている時には長風呂をして、色々と考え事をする。当然不愉快なことではなく、ブログのネタなんぞを考えたりしている。

最近考えたのは、徳川家康は何故天下を取れたのかということだ。
今から書くことは、一般的な歴史マニアには賛同していただけないかもしれない。
ただ、時代小説が参照しているような、江戸時代に書かれた書物は、どうしても江戸幕府バンザイ史観に多かれ少なかれ影響されているということと、我々は歴史の結果を見ているので、「そうなったことは必然だった」と考えやすいけれども、それは結果論でしかないことを取り敢えず認識すべきだろう。

では、家康が天下を取れたと私が考える理由をいくつかピックアップしよう。

(1)豊かな地域に生まれたことと、生まれたタイミングの良さ。

(2)本人の寿命の長さと、織田信長や豊臣秀吉の寿命の短さ。

(3)他の誰でもない今川義元の人質となったこと。

(4)子沢山だったこと。

(5)いくさがそれほど強いわけではなかったが、自分が大負けするような戦いには遭遇しなかったこと。すなわち、本当に強い相手は家康が天下を取ろうとした頃には殆どが亡くなっていたこと。

この続きは次回に。

傘かしげについて一言。

ちょっとツイッターでつぶやいたんだけど、傘かしげを真面目に実行すれば、肘と肘が触れ合うような気がするのだが、いかがだろうか。

まぁそれはいいでしょう。
江戸時代に高価な傘を持った人たちが、「傘かしげ」をしなければすれ違えないほどの貧しい人たちの住んだ長屋のあった狭い路地(恐らく幅が六尺、約180cmの通路)をどれだけ利用したのかも分からないが、それもよろしい。

仮にそういうところですれ違う場合、以前にも述べたかもしれないが、通常は身分の低い人、あるいは年少者が道を譲ることになるのが儒教倫理がある程度浸透した江戸時代には常識だったと思われる。
ある意味、「傘かしげ」的な行為があったとすれば、両者が道を譲ることを拒否することから発生したのではないか。
これがいわゆる江戸しぐさ的な麗しき庶民道徳で薦められたものだろうか。極めて疑問である。
しかも、そういう狭い場所で「傘かしげ」すれば、通路の外側、民家の軒先に水が流れ落ちることになってしまうではないか。当時の庶民は、家の軒先で物を販売していることもしばしばあったんだけど、そういったものが濡れることに関しては、「江戸しぐさ」的にはOKだったのか。
実にナンセンスですよね。

以前にも取り上げた自称(失礼。でも、修士課程すら経ていないようなので、あくまでも自称でしかないですよね。)哲学者の適菜収さん。

彼がおかしいのは、いわゆるB層と彼がレッテルを貼る相手の選択が恣意的なところにある。例えばTPPに賛成する人達を彼は批判するが、経済学的(マル経は除く)には自由貿易こそが国民に利益を与えることは常識である。恐らく経済学が彼には理解できないので、日本の保守(を自称する馬鹿)が反対するTPPはとりあえず批判しているのだろう。底が浅い。
実は私は適菜収氏のことを少しは知っている。
名前は既に筆名と同じ「オサム」であるとラジオ番組で公開されたが、姓も知っている。公開する意味はないし、下品なので公開しないが、Sさんである。
彼には、実はあるコンプレックス(これも公開しません)があるので、こういう大衆批判をおこなっているのだろうと思う。別にコンプレックスがあって、それがために社会問題に関心を持つこと自体、悪いことでは全くない。ただそれを読者は知っておいた方がいいのではないかなぁと考えるのだ。「それ」を公表している人もいるわけだし。

橋下市長が事態を打破するためには、元慰安婦と面会すべき、って先日書いていたんだけど、
当然の如く相手側からは政治的に利用されることを懸念され、キャンセルされてしまいましたね。
いずれにせよ、もう国政に打って出ることは事実上不可能となりました(もはや誰も他国の政治家には相手にされないので)
が、それも自業自得。たかが地方自治体の首長が、国政に関わるナイーブな問題に、以前出演していた関西ローカルの
政治討論風バラエティ番組のノリで首を突っ込んだのが間違いだったのです。

何ごとも正しいと考えるのなら、政治家でも臆せず主張すべきってのは、視聴者の頭のネジがゆるい
たかじんのテレビ番組では許されるのかもしれないが、現実は、特に国際問題は別なのだよ。
それにしても、弁護士が、「他所もやっていた」という理屈を振り回すのはかなり見苦しいですよ。
まさか、弁護士としてそのような理屈で被告人を弁護していないよね、どうでもいいけど。

本日の出来事を時系列で書くとしよう。まず、昨日日銀の黒田総裁が記者会見で「長期金利を抑え込む」ことを繰り返したにもかかわらず、その手段について満足な説明がなかったと知った。

恐らくそれが呼び水となり、前日に「長期金利を抑え込む」との発言があったにもかかわらず、午前中に長期金利が1%超になってしまった。

昼休みにブロゴスを閲覧すると、

「日経平均4万円も夢ではない―武者陵司(武者リサーチ代表)」という記事が掲載されているのを見た。

http://blogos.com/article/62842/?axis=g:0

この人は立派な経歴を持った人であることをあらかじめ述べておきたいが、それにしてもこの文はちょっと軽薄というか、株高に浮かれてしまった業界人の恥ずかしさがあからさまに出ているようで、かつてのバブル期の学習能力がないのかとぞっとしたのだった。

結局、午後2時過ぎに株価の暴落を知った。
明日以降株式市場や債券市場がどうなるかは分からない。ただ、もう黒田マジックは通用しないだろう。アベノミクスバブルは恐らく崩壊したのだ。

今日も江戸しぐさネタですぞ。

江戸しぐさ 先入観防ぐ「三脱の教え」

http://www.asahi-mullion.com/column/edo/60412edo.html

『江戸のルールでは、初対面の人に「年齢」「勤め先」「身分」を聞いてはいけないとされ、これを「三脱の教え」といいました。』

江戸時代の人たちに「勤め先」を持った人が果たしてどれだけいたことやら。

年齢はともかく、相手の身分なんていちいち聞かなくとも見た目でわかるだろうに。

こういうことが紹介されているようでは、やはり江戸しぐさは江戸時代のことに無知な人が捏造しているとしか思わざるをえない。

引き続き今度は橋下市長がこの状況を覆すための方法を考えてみる。
まずは韓国の元「慰安婦」の人達と面会すること。
その際には、相手の主張を否定しないことが重要。私も詳しくは調べていないので断定はできないが、秦郁彦氏の主張は正しいと考えるもので恐らく彼女らの主張に間違いは少なからずあるのだろう。ただ、認知科学では、昔のことについては記憶が変容してしまうことはよくあることだと明らかにされている。
相手の故意でない記憶の変容を責めても仕方がないことだ。

で、相手の主張をすべて受け入れて、ぎゅっと抱きしめ、苦労なさったんですね、と涙を流すのだ。

そしてこの後が橋下市長だからこそ言えることだ。
「私は日本では歴史的に差別を受けてきた人たちの元で生まれ育ってきました。同じ日本人の中でも歴史的に差別を受けてきたのです。身体を売ることによって生計を維持してきた人が私の先祖に多くいるのは歴史的な事実です。私の一族にも、もしかすると望まれずに生まれた人がいたかもしれない。それでも私はその事実を受け入れざるを得ない。そういう先祖の苦難があっての私の存在だからです。
皆さんも、屈辱的な扱いを受け、随分苦しく悲しい思いを受けてこられたでしょう。
しかしこれからは是非人生を前向きに生きてください。皆さんのお子さんやお孫さんのために。」

産経新聞の引用。
『日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は13日夕、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を視察し同飛行場の司令官と面会した際に「もっと日本の風俗業を活用してほしい」と促していたことを明らかにした。
 「風俗業を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と伝えたというが、司令官は「米軍では禁止されている」などと取り合わなかったという。』

前回も書いたように、私は一応リバタリアンを自称するものとして、売買春に関しては合法化すべきと考えている。

でも、橋下市長の発言はやはり異常だ。
まず指摘できるのは、普天間飛行場の司令官の部下が性犯罪者の予備軍であるかのように扱っていること。何とまぁ無礼なことか。外交感覚がないのだろうか。
売買春を合法化する、それはすなわち余計な邪魔はしないということ。当たり前のことだけど、公的な人物•組織が売買春をお薦めすることではない。
橋下市長は例えば、所得を増やしたいと希望する支持者に対して「効率的に儲かるから合法的な風俗店に勤務すべき」だと勧めるのだろうか。或いは、大阪市の中学や高校の求職者に、合法的な風俗店への就職を市長として勧めているのだろうか。絶対にあり得ないだろう。
同じ日本人同士ですらあり得ないことを、宗教も倫理観も異なる外国人にお薦めするその感覚が異常だ。
もはや国政に進出することはまず絶対に無理だろう。他国の政治家には相手にされないだろうからね。

飯島氏の北朝鮮訪問。
アメリカや韓国には事前通知をしていなかったとのこと。

もし、拉致事件を最優先として解決すべきだと政権が判断したのだとすれば、そういう判断も有り得るだろう。私も批判しない。

ここでちょっと引いて考えてみると、遥か昔に福田首相(父)が「一人の生命は地球より重い」と述べたことに対して、

https://ja.wikipedia.org/wiki/ダッカ日航機ハイジャック事件

以前より保守派から批判されてきたという事実がある。

何が言いたいのかというと、政府として拉致被害者のことは(建前上はともかく実質的に)もう諦め、ずっと多くの人の安全を考えて、核疑惑問題の開発を、米韓等と共に優先させるという選択もあったわけで、最近まではそう考えてきたものと思われるのだが、今回のこの方針変更。
北朝鮮を拉致事件を口実に批判し強硬姿勢を示すことで、実際の解決につながることは考えられなかったが、その姿勢に変化が生じてきたことになる。
繰り返すが、私はその判断は、それはそれで構わないと考える。
今までの保守派の考え方からすると一貫性はないが、しょうがない。
ただ、今まで安倍首相を熱狂的に支持してきた人達は戸惑っているようで、ブログでも言及していない人が多いらしい。

http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/e8242d21c367f87ef709cf64fb613bb3

なんて器が小さいのだろう。

橋下市長の例の発言について

色々な人が既に批判されているが、一言で言い表すと、「橋下さん、あなたは評論家じゃなくて政治家なんだよ。」ということに尽きるだろう。
例え言いたいことが正論であっても、政治家には言っていいことと悪いことがある。しかも、今回の場合、別に正論を言わなかったことによって誰かが生命を失うなどのデメリットなどは生じないのである。

次にこの発言。
『今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。
法律の範囲内で認められている中でね、いわゆるそういう性的なエネルギーを、ある意味合法的に解消できる場所ってのが日本にはあるわけですから。もっと真正面からそういうところ活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者のね、性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですかと。建前論じゃなくてもっとそういうとこ活用してくださいよと言ったんですけどね。それは行くなという風に通達を出しているし、もうこれ以上この話はやめようっていうんで打ち切られましたけどね。だけど風俗業ありじゃないですか。これ認めているんですから、法律の範囲でね。』
私は一応リバタリアンを自称するので、売買春に関しては合法化すべきと考えている。
ただ政治家が、知り合いに言うのならともかく、文化も信仰する宗教も異なる他国の軍の『司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言った』のはまずいだろう。本人としては建前でなく、本音を言ったつもりなのだろうが、政治家の発言として正直異常である。
この辺り、先日の猪瀬知事の発言と同様、他人の立場を全く考えないタイプの人間が行いがちな放言だろう。

更に駄目なのはこういう発言。
『その当時、慰安婦制度っていうのは世界各国の軍は持っていたんですよ。これはね、いいこととは言いませんけど、当時はそういうもんだったんです。』
こういう根拠のないことを言えば、世界各国って具体的にどこだとか、例外はあるのかないのかなど突っ込まれたら、すぐに降参することにならざるを得ないのではないか。
やはり政治家としての資質に疑問を抱かざるを得ない。

最近また、「江戸しぐさ」の記事の閲覧が増えている。

今日始めて気がついたが、Wikipediaの「江戸しぐさ」ノート欄でも、(タイミング的には、ちょうど私の記事が誰かに取り上げられた今年の3月頃から)議論が交わされているようだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:江戸しぐさ

しかしながら、ちょっと看過できない記載を見つけましたぞ。
『普段あまりこういう領域には顔を出さないのですが…あまりにちょっとと思いましたので複数の問題タグを文字通り複数分貼り付けました。怪しい「江戸しぐさ」: 杉岡幸徳の人生は夢のようにや江戸しぐさってやっぱりインチキではないか? : 無楽斎の極小右記といった批判は、単一のNPOによる出典にしか拠って居ない現状の記事内容に対し、かなり説得力ある内容になっています。特に前者は著作も出して居る人物によるブログであり、看過出来ない内容を含んでいると考えます。』

著作があるというだけで言えば、例えば疑似科学の著作を出している人物のブログも説得力があることになってしまいますぞ。
しかも私は会社のコンプライアンス部門に所属し、会社が合理的根拠のない広告を作成したりしないように、会社が法令遵守に務めるよう日々業務を遂行しているのです。ツッコミ力では作家先生に負けず劣らずですぞ。(ここのくだり、全部冗談ですからね。もちろん怒ったりしておりません。)

冗談はともかく、江戸しぐさ関係の方からはブログに一度も書き込みがない。
上記Wikipediaにおける江戸しぐさ擁護派の書き込みにも特に説得力がある論理なんぞ何一つない(特に笑えるのが以下の記載『少なくとも現時点で出典が多数あり、「江戸しぐさ」が教育現場にもありますのでご確認をお願いします。』…新手のギャグかなんかでしょうか。)ので、このままだんまりを決め込むのかもしれないですね。

でも皆さん、熱心に観察されていることに冗談でなく感動します。
『しかしNPOのホームページからは明治時代に弾圧された云々の記述が消滅した(一般的なマナーなのに弾圧受けたから消滅したというストーリーはどこへ)』なんて、指摘されるまで気づきもしませんでした。
…と書いたところで気がついた。
自分でも書いていましたね、削除されたかもしれないって。すみません。

自分の文を引用するのは気が引けますが、せっかくなので書いておきます。
『最近削除されたのかもしれないが、以前は、江戸しぐさのサイトには、「江戸しぐさは、明治政府から弾圧された。」とあったのだ。
「倫理観、道徳律、約束事というべきもの」という、人畜無害としか言いようのないものが弾圧されたというのだ。
「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」なのにである。それも文書が何一つ残っていないはずなのにである。
明治政府はなにをもってこの程度のものを弾圧が必要な程の脅威としたのだろうか。明治政府が求める理想的な国民像と、江戸しぐさが理想とするものに、わざわざ弾圧をしなければならないような違いはあるのか。
また少数のものにしか伝えられなかった「正確たる文書は現存」しない(たった約140年前のことなのにである)ような道徳律のようなもの、「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧する必要があるのか。
出版も何もされていない「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧することが物理的にはたして可能なのか。明治政府に弾圧されたという証拠、弾圧したという証拠も全く何一つ残っていないのである。たった一人の人間の「口伝」で、その存在を歴史的事実とするのは異常ではないか。』

以前にも書いたけど、歴史家などプロの学者はいちいち馬鹿らしいと思わず、こういう偽史や疑似科学などについて検証すべきではないだろうか。若い研究者がこういうことに手を出すと色物扱いされるかもしれないので、ベテラン勢には特にお願いしたいところだ。

みんなで大家さんという投資がある。

http://www.minnadeooyasan.com/

詐欺だというわけではない。問題なのは、以前に指摘したいつかはゆかしと同じ。リスクの説明が十分でないところだ。

この商品の場合、確かにJ-REITとは違って元本割れしにくいとは思うが、複数の物件に分散投資するJ-REITとは違い、一つの物件(今募集中の11号の場合、成田菊水ホテル)のみに集中して投資するものであるため、成田菊水ホテルにもしものことがあれば、元本割れどころか、投資金額が殆ど手元に戻らないことも考えられるのだが、そのリスクについてはどこにも記載がないのだ。

投資者がそこまで理解して投資するのならば反対はしないが、恐らく表面上の利回りの高さとリスクをきちんと説明していない広告に釣られているであろう、投資リテラシーが低そうな人が投資しているものと思われるのが問題なのである。

実態のない、すなわち実体経済の裏付けのない株高。
市場参加者もバブル経済当時とは様変わりしているから、学習能力ないのか?とか批判するのも虚しいところだけれど、今回の事象からくる副作用はかなりのものになるだろう。
株はもちろんのこと、日銀に買い支えられているREITの値上がりは明らかに異常である。
5年後、10年後に市場が果たしてどうなっているか…。
証券系エコノミストは、ポジショントーク全開でアベノミクスを褒め称えているけれど、何年か先にはまた地獄を見ることになるよ、恐らく。
えっ、もうその時には定年退職してるって?

週末金曜日夜から日曜日昼まで関西に滞在した。自分自身は関西の端っこの出身なので、言葉遣いとしては大阪などには親近感を覚えるのだが、一つだけ嫌なことがある。それは、関西にはクレーマーが多いということだ。面倒だし詳しくは言及しないが、今回の滞在中、何と三件のクレーマーによるクレーミングに出くわした。
東京では考えられない頻度だと思う。
内容的にはそのどれも単なるチンピラの言い掛かり程度のものなのだ。
実際のところ、どの施設でどういうクレームをつけているのか言いたいのだが、色々と面倒そうなので言わない。

EUに属しているキプロスが今、EU各国はおろか、世界中を巻き込んで問題となっている。

キプロスってどこ?って誰もが思うのではないか。
Googleマップなどでご確認いただきたい。
地中海東端に浮かぶ小島にある。

もう一度よく見ていただきたい。いや、あなたが見逃していると言いたいわけではないんです。地図上にはない国家が実はあるのです。
北キプロス。
http://ja.wikipedia.org/wiki/北キプロス・トルコ共和国

世界で北キプロスを承認しているのはトルコだけ。北朝鮮よりも孤立している。自由な貿易が行われているわけではないので、当然貧しい国家である。
キプロスが苦しんでいる今、北キプロスはどうなっているか、何の情報もないだけに気になるところだ。

政府の教育再生実行会議が「他者への理解や思いやり、規範意識」などを育むために「道徳」の教科化を提言しているそうだ。
道徳教育が盛んだった戦前だっていじめは横行していたし、未成年者の猟奇殺人なども発生していたこともご存知ないのだろうか。
例の大津の中学校だって、道徳教育実践研究事業推進校だったわけで、実際の因果関係はともかく、道徳教育の推進→悪質ないじめ発生という相関関係?が見られるというのに、道徳教育の教科化なのだそうだ。
こういうのをみると、自分に子供がいなくてホッとする。馬鹿の妄想の犠牲にはさせたくないですからね。

新カテゴリー、自称◯◯な人たち。
初回は、自称哲学者•適菜収や、自称経済評論家•三橋貴明、自称真っ当な日本人•勝谷誠彦などを取り上げるべきなのかもしれないが、
意表を突いて、無名な人物を取り上げよう。

無名でなおかつここで名前は明らかにしない。本当にただの一般人だからだ。仮にA氏としておこう。
A氏の過去の履歴はよくわからない。学歴は、ブログに書いている文章のクオリティを見る限り、
高卒あるいは専門学校卒かと推測するけれども、偏差値の低い大卒かもしれない。
職歴も不明。正社員になったことがあるかどうかもわからないが、
ここ10年位は、派遣社員だったようだ。

さて、このA氏、最近になって自分の会社を立ち上げたのだ。それはもちろんいっこうにかまわない。
ただその企業というのは、経営コンサルタント企業なのだ。
繰り返す。フリーター氏が経営コンサルタントを起業したのである。

彼は経営コンサル企業への勤務経験はないし、実際のところコンサルタントに特に役には立たない資格である中小企業診断士の資格すらあるわけでもない。直近はフリーターなのだから当然だけど。
特色といえば、自己啓発本を読むのが好き、川島和正、与沢翼、クリス岡崎等まともな経営コンサルタント、いやまともな社会人は相手にしないようないかがわしい人物のブログをご愛読、スピリチュアルも大好きなのだというところか。
恐るべきシロウト目線で、目に付いた企業に勝手にアドバイスをするという活動を始めているようだ。恐ろしいことに、アドバイスの裏付けとなる根拠が何もないし、その意見を受け入れればどういうメリットが得られるとかその他まともな助言が何ひとつ出来ない、コドモのままごとのような行為を堂々とブログにアップしている。
恐ろしい。痛すぎてツッコミ場所が多すぎる。

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