江戸しぐさと称するものを推進する人たちがいる。

    ウィキペディアによれば、「江戸しぐさ(えどしぐさ)は、日本における江戸町方の商人道、生活哲学・道。」とのことであり、具体的には、

「しぐさは仕草ではなく思草と表記する。もともと商人しぐさ、繁盛しぐさといわれ、商人道、哲学として語られる。多岐にわたる項目が口伝により受け継がれたという。現代の世相に鑑み江戸人の知恵を今に生かそうという観点から教育界などで注目され始めている。かつ、一部小中学校の道徳の時間にも取りあげる動きも広がっている。商家に伝わる門外不出の未公開の処世術あるいは、倫理観、道徳律、約束事ともいうべきものであろうが、未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず芝三光(しば・みつあきら)(本名=小林和雄)とその後継者により普及されてきた。評論家の牛島靖彦によればそもそも商人(あきんど)しぐさを「江戸しぐさ」と命名したのは、江戸講最後の講師とされる、芝三光であるという。本件江戸しぐさを伝えてきたのはわずか一人であり、存在とか内容についても江戸時代の常識と一致しない部分があると批判する意見もあるが、商家の精神とか江戸人の知恵がちりばめられており、その本質とか存在意義を著しく損なうまでには至っていない。その後、芝の弟子の一人であった越川禮子が後継者として名乗りを上げ、NPO法人を設立し江戸しぐさの普及宣伝活動を行っている。」とある。

この「江戸しぐさ」について、私はかねてより如何わしいと感じており、それは自分だけがそう思っているのかと考えていたが、
杉浦幸徳さんという方が、その怪しさについて5年程前に既に指摘されていたことがわかった。

http://sugikoto.cocolog-nifty.com/kotoku/2007/03/post_dca7.html

    もう覚えてはいないけれど、私が「江戸しぐさ」に疑いを持つようになったのは、杉浦さんのサイトを閲覧したからかもしれない。(2013/9/3追記 パオロ・マッツァリーノさんの著書を読んだからだと判明。)

    さて、具体的におかしなところを指摘してみよう。



①「しぐさは仕草ではなく思草と表記する。」とあるが、「未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず」であるはずなのに、なぜ「思草と表記」すると言えるのだろうか。「多岐にわたる項目が口伝により受け継がれた」というより、その実在を証明する文書は何一つ残されていないのではないか。


②最近削除されたのかもしれないが、以前は、江戸しぐさのサイトには、「江戸しぐさは、明治政府から弾圧された。」とあったのだ。

    「倫理観、道徳律、約束事というべきもの」という、人畜無害としか言いようのないものが弾圧されたというのだ。
「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」なのにである。それも文書が何一つ残っていないはずなのにである。

    明治政府はなにをもってこの程度のものを弾圧が必要な程の脅威としたのだろうか。明治政府が求める理想的な国民像と、江戸しぐさが理想とするものに、わざわざ弾圧をしなければならないような違いはあるのか。
    また少数のものにしか伝えられなかった「正確たる文書は現存」しない(たった約140年前のことなのにである)ような道徳律のようなもの、「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧する必要があるのか。
出版も何もされていない「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧することが物理的にはたして可能なのか。明治政府に弾圧されたという証拠、弾圧したという証拠も全く何一つ残っていないのである。たった一人の人間の「口伝」で、その存在を歴史的事実とするのは異常ではないか。


③サイトには、「江戸時代は、260年以上もの間、戦争のない平和な社会が続いた、世界の歴史においても例のない時代でした。その平和で安心な社会を支えたのが「江戸しぐさ」という人づきあい、共生の知恵です。」
とあるが、

http://www.edoshigusa.org/about/concept/

「未公開かつ口伝であった」ものが、江戸社会を支えるほど普及していたはずがないではないか。「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」ではないのか。この程度のことでも、主張に整合性がないのはどういうことか。


 ④個別の「しぐさ」のおかしさについては面倒なので一々言及しない。
1番嘘だとわかりやすいものだけ記しておこう。
サイトや出版物では、「時泥棒」として、「断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる」と主張している。

http://www.edoshigusa.org/column/vol31/

既に言及した杉浦さんのブログに詳しく書かれているので、内容についてはご参照願いたい(他にも幾つか言及されているが、どれもごもっともな内容です。)が、一言だけ書いておこう。
当時、時計を所有する人はほとんどいなかったので、約束の時間に遅れることなど当たり前であったはずである。


 さて、これらの相矛盾する「江戸しぐさ」に関する主張について、全てを合理的に説明することができるとすれば、「江戸しぐさ」は捏造であるということであろう。
   もしそうではないというのであっても、少なくとも、現存する証拠が何一つない現状で、「江戸しぐさ」が存在したものとして、NPO法人が教育機関などを巻き込んで活動するのはいかがなものか。
少なくとも、検証に耐えうる証拠が見つかってからでも遅くはないだろう。 
    今のところ、学問的に見て、「江戸しぐさ」と呼ばれるものが実存したと判断できる根拠は全くない
(そう言えば近現代史の専門家は無視しているのかな。でもこういったものを放置しておくと、かつての「旧石器捏造事件」のように、取り返しのつかないことになってしまってからでは遅いのではなかろうか。)
し、失礼ながら、現在の「江戸しぐさ」推進派の行為は「江戸しぐさ的な精神」に反すると思われるのである。