無楽斎の極小右記

日々の雑感や読んだ本のこと、また西荻窪 をメインとした杉並区とその周辺の街歩き情報を中心にアップします。

2012年06月

地井武男さん、亡くなる…。

私は、評論家などの知識人に対しては辛口で批判したりするけれども、俳優や歌手などには、批判しない…ことはないか。

でも、地井さんの番組(関東ローカルかな)ちい散歩は、まったりとしたいい番組でしたね。
私もある程度年をとったのでこういう番組を評価するようになったのかもしれない。

先日の記事の続き。
題名は「無駄な人生・・・」というより、「虚しい人生・・・」「空虚な人生・・・」とした方が良かったのかもしれない。記事の内容はちょっと手厳し過ぎましたかね。但し、彼等に残された時間は殆ど無いことだけは認識していただきたいものだ。特に年齢的に取り返しのつかないところまで行ってしまってからでは遅いのだ。
勿論、無駄な人生にしろ何にしろ、人には愚かな事を行う権利、すなわち愚行権もあるので、あんたの言っていることは余計なお世話だ、と言われても否定はできないんだけどね。



「ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて」 (安田浩一)

在特会という組織を分析したルポルタージュ。ネトウヨさんが読めばヒステリーを起こすかもしれない。
在特会ってのは、私がいうところの珍右翼の代表的なもののひとつですね。

在特会の主張については、余りにも馬鹿馬鹿しくて、賛同できることは何ひとつないので、面倒だしここではスルーしておきます。

著者は、在特会代表の桜井誠こと高田誠の生い立ちから調べ上げて、本人のその思想(と呼べる程の立派なものではないけど)のルーツを明らかにしているものである。(私は二十分程立ち読みしただけだが、買って損はない本だと思われる。)

感想なんだけど、何と言うか、在特会メンバーって想像通りなんだよね。高学歴では無く、所得にも恵まれない人のルサンチマンが、批判しやすい自らより弱者に向かうという現象。著者はある程度同情しているけど、私は同情しない。

在特会メンバーのように、知的にも所得的にも恵まれない人間は、どの時代にもいたし、別にそれが問題になることはいままでなかった。いわゆる戦後思想というものは、人が平等であるとして、あらゆる人に様々な可能性を見出した訳だけれども、実際のところ、全ての人に能力があるはずはないんだよね。努力しないやつもいるし、素質のない人もいるし。
しかしながら、在特会メンバーは、才能がないにもかかわらず、「分をわきまえる」という言葉を考慮にせず、見苦しい活動を行っている。
回りくどくて申し訳ないが、何を言いたいのかと言うと、戦後思想に乗っかりつつ、戦後思想を批判することに有効性はないということである。

もっとストレートに言おう。
知的裏付けのない馬鹿が愚論を主張できるのは、その馬鹿自身が敵対視しているはずの戦後民主主義のおかげである、ということだ。

その「ネットと愛国」の書評が、個人的に毎週チェックしている産経新聞の読書欄に掲載されていた。
因みに、産経新聞の読書欄と言えば、読書家にとっては全国紙で最も取り上げられる本のレベル・評者のレベルが低いことで知られているが、今回は所謂産経新聞的な文化人?(例えば田久保忠衛のような)ではなく、浅場通明氏だったので、産経的な偏りはなく真っ当な批評となっている。

今日、秋葉原に行ったら、駅前でフジテレビデモを勧誘するビラを配っているおっさん(後頭部が禿げている)がいた。
通常こういうのを見ると、まぁ馬鹿にするだけなんだけど、今回は数々の疑問が心に浮かんだのだ。

・あんた結婚してんの?
・まともな仕事に就いてるの?
・人並みに所得税を支払って(あんたの思想に相応しく)国家に貢献しているの?
・家族はあんたがこんなことをやってるって知ってるの?
・学歴は?
・今こういう馬鹿なことやっている自分の将来って考えたことある?
・ネトウヨって、本来の日本の保守層からも怠け者として相手にされてないんだけど、これからどうするつもり?

心には浮かんだんだけど、本人には聞かなかった。ある種の妄想ではあるが、刃物で刺されたくないからだ。

最近は、こいつら、もとい彼等は段々と哀れなのだと感ずるようになってきた。

誰もが自分の主張を大っぴらに主張できる究極の大衆化社会において、知的に何の裏付けが無いにも関わらず、自我だけが異様に拡大した馬鹿もとい出来損ないもといネトウヨさん達が知的水準の低い主張を誰にも止められることなく続けるのは、滑稽だけどまぁ本人の自由ではある。しかしながら、今後彼等の人生の行方はどうなるのか?こういうことを煽ってきた連中は当然何も責任を取らないので、ハシゴを外された形になることだけは確かだ。

馬鹿もとい出来損ないもといネトウヨさんは暫くは気づかないだろうけれども、いずれは自分のおかれている状況を把握するだろう。そして、その時にはもう手遅れになっているだろう。

先日、久しぶりにとんねるずの「みなさんのおかげでした」を見た。何故なら、ローラとメーラ(米良美一)が出演したからだ。思った通りのローラの大暴走。メーラに、「男の人と女の人のどっちが好きなの?」という、誰もがメーラの口から直接聞きたいけど聞けない質問ができるのは、さすがローラならでは。

「マツコ&有吉の怒り新党」も面白かったですねぇ。『自分の見た夢の話するヤツ面白く ない説』にマツコが鉄板の“夢話”を語り、見事に撃沈したわけなんだけど、ここで私も先日見た夢について書いてみよう。もちろん「面白くない」ですけどね。

内容は単純。ジャイアント馬場から攻撃を受けているというただそれだけの話なんですけど、何故こんな夢を見たのか考えてみると実に興味深いことなんですね。

普段私が夜眠れない時には、「大金持ちになった自分を妄想する」または「プロレスラーになった自分を妄想する」と、馬鹿馬鹿しくなって、自然に寝ることができるんだけれど、どうやら先日ジャイアント馬場の記事を書いたことが頭に残っていて、この夢を見たのではないかと思われるのだ。続きは、「超常現象の科学」の書評に書くことにしよう。

    江戸しぐさと称するものを推進する人たちがいる。

    ウィキペディアによれば、「江戸しぐさ(えどしぐさ)は、日本における江戸町方の商人道、生活哲学・道。」とのことであり、具体的には、

「しぐさは仕草ではなく思草と表記する。もともと商人しぐさ、繁盛しぐさといわれ、商人道、哲学として語られる。多岐にわたる項目が口伝により受け継がれたという。現代の世相に鑑み江戸人の知恵を今に生かそうという観点から教育界などで注目され始めている。かつ、一部小中学校の道徳の時間にも取りあげる動きも広がっている。商家に伝わる門外不出の未公開の処世術あるいは、倫理観、道徳律、約束事ともいうべきものであろうが、未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず芝三光(しば・みつあきら)(本名=小林和雄)とその後継者により普及されてきた。評論家の牛島靖彦によればそもそも商人(あきんど)しぐさを「江戸しぐさ」と命名したのは、江戸講最後の講師とされる、芝三光であるという。本件江戸しぐさを伝えてきたのはわずか一人であり、存在とか内容についても江戸時代の常識と一致しない部分があると批判する意見もあるが、商家の精神とか江戸人の知恵がちりばめられており、その本質とか存在意義を著しく損なうまでには至っていない。その後、芝の弟子の一人であった越川禮子が後継者として名乗りを上げ、NPO法人を設立し江戸しぐさの普及宣伝活動を行っている。」とある。

この「江戸しぐさ」について、私はかねてより如何わしいと感じており、それは自分だけがそう思っているのかと考えていたが、
杉浦幸徳さんという方が、その怪しさについて5年程前に既に指摘されていたことがわかった。

http://sugikoto.cocolog-nifty.com/kotoku/2007/03/post_dca7.html

    もう覚えてはいないけれど、私が「江戸しぐさ」に疑いを持つようになったのは、杉浦さんのサイトを閲覧したからかもしれない。(2013/9/3追記 パオロ・マッツァリーノさんの著書を読んだからだと判明。)

    さて、具体的におかしなところを指摘してみよう。



①「しぐさは仕草ではなく思草と表記する。」とあるが、「未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず」であるはずなのに、なぜ「思草と表記」すると言えるのだろうか。「多岐にわたる項目が口伝により受け継がれた」というより、その実在を証明する文書は何一つ残されていないのではないか。


②最近削除されたのかもしれないが、以前は、江戸しぐさのサイトには、「江戸しぐさは、明治政府から弾圧された。」とあったのだ。

    「倫理観、道徳律、約束事というべきもの」という、人畜無害としか言いようのないものが弾圧されたというのだ。
「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」なのにである。それも文書が何一つ残っていないはずなのにである。

    明治政府はなにをもってこの程度のものを弾圧が必要な程の脅威としたのだろうか。明治政府が求める理想的な国民像と、江戸しぐさが理想とするものに、わざわざ弾圧をしなければならないような違いはあるのか。
    また少数のものにしか伝えられなかった「正確たる文書は現存」しない(たった約140年前のことなのにである)ような道徳律のようなもの、「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧する必要があるのか。
出版も何もされていない「未公開かつ口伝であった」ものを弾圧することが物理的にはたして可能なのか。明治政府に弾圧されたという証拠、弾圧したという証拠も全く何一つ残っていないのである。たった一人の人間の「口伝」で、その存在を歴史的事実とするのは異常ではないか。


③サイトには、「江戸時代は、260年以上もの間、戦争のない平和な社会が続いた、世界の歴史においても例のない時代でした。その平和で安心な社会を支えたのが「江戸しぐさ」という人づきあい、共生の知恵です。」
とあるが、

http://www.edoshigusa.org/about/concept/

「未公開かつ口伝であった」ものが、江戸社会を支えるほど普及していたはずがないではないか。「商家に伝わる門外不出の未公開の処世術」ではないのか。この程度のことでも、主張に整合性がないのはどういうことか。


 ④個別の「しぐさ」のおかしさについては面倒なので一々言及しない。
1番嘘だとわかりやすいものだけ記しておこう。
サイトや出版物では、「時泥棒」として、「断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる」と主張している。

http://www.edoshigusa.org/column/vol31/

既に言及した杉浦さんのブログに詳しく書かれているので、内容についてはご参照願いたい(他にも幾つか言及されているが、どれもごもっともな内容です。)が、一言だけ書いておこう。
当時、時計を所有する人はほとんどいなかったので、約束の時間に遅れることなど当たり前であったはずである。


 さて、これらの相矛盾する「江戸しぐさ」に関する主張について、全てを合理的に説明することができるとすれば、「江戸しぐさ」は捏造であるということであろう。
   もしそうではないというのであっても、少なくとも、現存する証拠が何一つない現状で、「江戸しぐさ」が存在したものとして、NPO法人が教育機関などを巻き込んで活動するのはいかがなものか。
少なくとも、検証に耐えうる証拠が見つかってからでも遅くはないだろう。 
    今のところ、学問的に見て、「江戸しぐさ」と呼ばれるものが実存したと判断できる根拠は全くない
(そう言えば近現代史の専門家は無視しているのかな。でもこういったものを放置しておくと、かつての「旧石器捏造事件」のように、取り返しのつかないことになってしまってからでは遅いのではなかろうか。)
し、失礼ながら、現在の「江戸しぐさ」推進派の行為は「江戸しぐさ的な精神」に反すると思われるのである。

ハイブリッドカーはエコか?


    購入するとエコカー補助金が給付されるように、ハイブリッドカーはすっかりエコカーだと認識されているようだけど、本当にそうかといえば、そうではないのではないかと思わざるを得ない。

    まず、ハイブリッドカーはガソリンエンジンの他、モーターと充電池を積んでいる。
    車重からいって余計なものを積んでいれば燃費的には不利なのはもちろん、モーターや充電池の製作に資源やエネルギーを莫大に使用する事、充電池は使用後に廃棄する際のコストもかかる事を考えれば、エコであると考えるのは疑問を感じる。

    当然トータルのコストでメリットがあるかどうかメーカー側は発表していない(はずだ)。

    因みに、日本人と違って、曖昧な雰囲気に惑わされず、物事の本質をきちんと考慮する欧州では、ハイブリッドカーの人気は低い。上記のように、エコであると考えにくいし、カタログ上の燃費ではなく、実際に使用すると燃費があまり良くないことがある。また、高速道路では、一般のクルマより動力性能も劣るからだと思われる。

    日本ではハイブリッドカーは日本の先進的な技術の象徴としてとしてもてはやされているが、ガラパゴス化する可能性が高いのではないかと思う。スカイアクティブ技術を独自に推進するマツダのように、技術開発の王道をいっていただきたいものである。

「天然モノは安全なのか〜有機野菜やハーブもあぶない」(ジェームズ・P. コールマン)

本書は、以前に取り上げた「食品の迷信」で言及されていた本である。先ほど書いた糖質ダイエットについても言及されている。目からうろこが落ちる指摘が多い有用な本である。一部列挙してみる。

•食中毒や食品由来の発ガンも99.9%は天然物が起こす。

•米国防疫センターによれば、残留農薬で死んだ人はゼロ。天然物由来の食中毒で年に数百人が命を落とす。

•有機食品には、サルモネラ菌や大腸菌が付着しやすい。

•カリフォルニア大のブルース•エイムス教授が調べたところ、合成農薬のほぼ半数が発癌性物質であったため、厳しい残留農薬基準が作られた。

•しかし、同様に野菜•果物を調べたところ、ほぼ全部に発癌性物質が含まれている事が判明した。

•そういう天然物を米国人は一日に合成農薬の一万倍以上を摂取している。

•天然毒素は有機栽培作物に多い。何世代も続けるとさらに増える。
(天然の殺虫剤を増やして害虫に立ち向かうため)

•品種改良は、毒素を減らす営み。

•遺伝子組み換え食品が危険だとする科学的根拠はない。むしろ農薬の使用量が少なくなるメリット。

•健康食品が引き起こす病気や死亡事故があとを絶たない。人は副作用の少ない近代医薬を使いたがらない。

Yahooニュースにはコメント欄があるんだけど、こんなもの廃止してはどうか。
平日昼間から、満足に日本語の文章も書けないような知的裏付けの全く無い連中が馬鹿丸出しのコメントを書き込み、それに対して「私もそう思う」と賛同する投票が殺到するという惨状。日本の一般人の知的水準が把握できるけれども、人種差別書き込みが余りにも多く、先進国のネット書き込みとしてレベルが低すぎて恥ずかしい。

「主食をやめると健康になる」として、糖質ダイエット(炭水化物の摂取量を減らす)がもてはやされている。
例えば池田信夫氏は、「医学的には疑問もあるようだが、世の中の怪しげなダイエットとは違って医学的な根拠があり、副作用もない。」として推奨しているが、

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51762596.html

炭水化物の摂取が足りないと、

•ケトン類が血液に溜まって、脱力感、むかつき、口臭が発生する。

•カリウム、ナトリウム、カルシウム不足で、骨粗鬆症になりやすい。

•尿酸が増えて、腎臓結石の元となる。

といった副作用があるのだ。

    健康に関する事について、何も調べもせずにいい加減な内容の記事を影響力のあるブログに書くのはいかがなものか。

    また、言うまでもないが、ダイエット本に科学的な裏付けのあるものなどほとんどない。鵜呑みにするのは危険である。

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    井狩春男なる人物がいる。コラムニストと言えばいいのかな。以前、週刊ダイヤモンドに「これは売れる!」というコラムを連載していたんだけど、そこで「光に向かって100の花束」という本を取り上げて絶賛している。 

    この本の著者は実は高森顕徹なる人物で、カルト宗教である「親鸞会」の代表者である。
    私は取り上げられた当時、社会的に問題のある宗教団体の著作物を取り上げるのはいかがなものかと週刊ダイヤモンドに抗議したが、無視された。けしからん!

    その後、井狩春男氏は、いわゆる自費出版詐欺だといわれている新風舎にも深く関わっている事が判明。それが判明したからかどうか定かではないが、自らのホームページも閉鎖している。
無論どちらの件についても謝罪などしてはおらず、だんまりである。

何故でしょうかね。
先日手にとったのは「日本人は、なぜ世界一押しが弱いのか?(祥伝社新書) 」なんだけど、正直酷いの一言。彼は一応学者なので、自説の根拠となるようなものを、真っ当な論文や文献から挙げているのかと思いきや…。
彼の読者層はこの程度の内容でも満足するんかいな、やれやれ。

異常に多作であることを考えるに、恐らくゴーストライターを利用しているのだろうと推測できる。
本人がお書きでないから駄作?
それもあるだろうが、元々彼の著した本に名作は無い。何か勘違いしておられるようである。

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    日曜日に街歩きをし、そこそこ長い距離を歩いた結果、火曜日になって太腿に張りを感じたが、今回はこれ以外に筋肉痛を感じなかった。
最近一日30分以上を目標に歩いているからかもしれない。

    さて、街歩きした日の前日、河川敷にて花火大会を鑑賞した。
頭上を何匹かの蝙蝠(コウモリ)が飛び交っているのが見えた。
花火の音に驚いて飛んでいたのか、それとも通常の捕食行為なのかは定かではない。

    最近読んだ「コウモリの不思議(知りたい!サイエンス)」には、コウモリの興味深い生態が記されている。
    
    今、個人的に生物の「代謝」に興味がある。例えば、恐竜が外温性(いわゆる冷血動物)だったのか、内温性(いわゆる温血動物)だったのかという論争があるけれども、これを考えるうえで必ず代謝がどうであったかを検討する必要があるのだ。
恐竜については別途書くとして、今回はコウモリ。

    コウモリは鳥と同じく、空を飛ぶ脊椎動物だが、「空を飛ぶ」という行為を行うには大変なエネルギーを費やす。当たり前ですな、自分の体重を、重力に反する形で上空に持ち上げるのだから。
鳥の場合、「気嚢」というものを持っていて呼吸の効率を高くしているわけだけれども(恐竜もそうだったという説がある。鳥類の祖先なので)、コウモリは戦略が別なんですな。

    よく洞窟内にコウモリがぶら下がっているイメージがあるかと思うのだが、その際、コウモリは体温を外気温に合わせているという。つまり、一日の内、数時間は、体温を外気温に合わせることによって代謝を節約しているのである。プチ冬眠といったところだろうか。
また、代謝を下げているということからなのだろう、同じサイズの哺乳類に比べコウモリの寿命は約2~3倍であるという。

    他にも興味深いことはいくつもある。当然コウモリと言えば、エコーロケーションを抜きには語れないだろう。興味のある方は是非お読みいただきたい。








    何度も馬鹿馬鹿しいネタで申し訳ない。

    千原せいじという吉本芸人が、例の馬鹿女の夫の会社を潰してやると言った、との、馬鹿女へのネット垂れ込み(もちろん既にご存知の通り、これは真っ赤な嘘だったし、仮に言っていたとしても、馬鹿女の夫が勤務する会社をただの芸人が潰すことは絶対に出来ない。)を、馬鹿女は何ら確認することなく信用して堂々とテレビ上で発言し、うそ泣きで同情を得ようとして自爆したんだけれども、事件はそれだけにとどまらない。

    いうまでもなく、たかが芸人にマジに潰されると考えたのであれば、頭が悪過ぎて国会議員としては不適格であるし、まぁ普通に考えれば、馬鹿に相応しく大げさに騒ぎ立てたんだろうが、これまた国会議員として恥ずかしいんだけど、そうは思わないのか、まともな知性•品性をどうやらお持ちでは無いようであるが、まぁどうでも良い。

    酷いのは、こういう馬鹿女に付和雷同するかのように騒ぎ立てる馬鹿な連中が発生することである。吉本のある新宿ルミネ前で、「在特会」なる、今まで何人かメンバーに逮捕者をだしている反社会的ネット右翼団体のメンバーが、高齢者に対して暴行事件を起こしたそうだ。

    こういう馬鹿を煽ったことについて、どういう言い訳をするのだろうか。機会があれば自民党や馬鹿女の事務所に問い合わせたい。自民党には、彼女が国会議員として適格だと考えているのか、そして、その根拠は何故なのかも併せて問い合わせることとしよう。

大親友であったM君の思い出

    M君とは、三重県の某進学校である某高高2から同じクラスだったのか、高3だけだったのか、今となっては覚えていない。彼とは教室ではもちろん、放課後も同じ電車に乗って、高校生らしく馬鹿な話をしながら、宅したものだ。何故気が合ったのか、今となってはよく覚えていない。個人的には、若いのに落ち着いた感じが良かったし、もちろんそれだけでなく馬鹿話もできるというのが自分には性格として合ったのだと思う。
    因みに、「月極駐車場」の読み方を教わったことなどを覚えている(ああ恥ずかしい)。

    M君は、私と違って、裕福な家庭(一度親の月収を聞いたことがあったが、世間知らずの私には信じられないことに、我が家の五倍以上であった)に育っていた(彼の実家は小さいながら工場を経営していた)し、ルックスも、私と違って織田裕二を更にハンサムにしたようなイケメンだったが、私のような貧乏ブサイクを友達にしてくださったのであった。いや、それだけではない。「女の子に告白されたけど、付き合うべきかな?」など、モテない私に聞いても解決には繋がらないようなことまで、相談してくださったのである(その際、私は、彼のお金目当てで告白されたのでは?などと下衆の勘繰りをしてしまったのであった…。)。

    そんなこんなで高校卒業後、私と違ってM君は現役で東京の理系私立大学に合格し、私はといえば、浪人して理系クラスから文系に志望校を変更し、地元の大学に嫌々(東京に出たかったので)通ってやった。その頃、一度調布の下宿先を訪れたりしたときも、色々親切にしてくださったものだ。

    そんなM君(大学は一度留年して、家業を継ぐために退学した)であったが、私が社会人になってから二度ほど飲みに行ったんだけど、二度目に会った時には、会社の経営が結構厳しいと言っていた。
只のサラリーマンである私には残念ながら何の助言も出来なかったんだけど、それから私も体調を崩して入院したりしてしばらく連絡を取らなかった。

    暫く間が空いて、ようやく自分も落ち着いたので何とか連絡をとろうとしたが、その時には自宅の電話番号も工場の電話番号も不通となってしまっていたのだ。
    それから色々調べているのだが、未だに連絡がとれない。恐らく会社は倒産したのだろうが、どこに引っ越したのだろうか?
このまま彼に一生会えないなんてことは私にとって耐えられない。何としてでも生きていて欲しい。因みに、私は三重県のT町、M君はH町の出身である。
    


    

10人以上の人達と、某所にて久し振りに街歩きをした。

思ったより階段や坂道が多く、大変疲れたが、充実した一日であった。

今夜は筋肉痛かも。

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    プロレスラージャイアント馬場。日本のプロレス界への貢献については誰にも異論は無いだろう。
今日は、ジャイアント馬場の功罪(というと少し語弊がありますな。あくまでも個人的な感想である)について考えてみよう。雑記的に羅列しておくこととする。

    先ずは「功」。
①プロモーターとしての手腕。
    馬場は若手の頃、身体の大きさの割には動けるということで、全米各地のプロモーターから評価され、大型ヒールとして活躍した。このときに得た人脈を武器に、力道山の死後、独立して全日本プロレスを設立したのちに、アメリカの著名レスラーを来日させることに成功した。
    また、当時アメリカで最大のプロモーター組織NWAに参加。NWA傘下のレスラーを来日させるだけにとどまらず、自らもNWAチャンピオンとなった(但し、以前は団体から公認された記録ではなかったような気がする)。

②性格
    比較的に性格がおおらかだったらしい。
教養ある常識人で、読書家でもあった。誰かさんと違い、詐欺のような事業に首を突っ込むことはなかった。

③自ら招聘した外国人レスラーからの人気。
    外国人レスラーに対する待遇が金銭的にも、それ以外の点でも良かったという。

④対戦相手が楽。
    馬場のレスリングスタイルは、古き良きアメリカンプロレスのスタイルそのものであり、体の動きはスローモーであった。また、馬場自体、筋力のあるレスラーではなかったため、受け身が取りにくい投げ技などを仕掛けることは殆どなく、対戦相手への肉体的負担が軽減された。


    次に「罪」
①マッチメークのあざとさ
    他団体から移籍した外国人レスラーを比較的低く見ることが多かった。

②若手外国人レスラーを育てることが出来なかった。
著名レスラーを招聘していたが、全盛期を過ぎた40歳以上の年齢で、本拠地では試合に出る回数の減ったレスラーが多く、新日本プロレスのように、後に大きくブレークすることとなった若手外国人レスラーを発掘することはほとんどなかった。

③ケチだった。
    日本人レスラー(全日本プロレス所属)への待遇が悪かった。ライバル団体であり、企業規模の似通っていた新日本プロレスに比べ、選手のギャラが低いだけでなく、新日本プロレスと違って出場試合数あたりの報酬だったため、選手が怪我をして出場出来なかった場合にギャラが支払われなかったようだ。また、選手のキャラクターグッズの売り上げも、選手に入ることはなかったようだ。
    これが後々、自らの死後、所属選手の大量離脱の要因となり、実質的に団体を身売りすることとなってしまった。

④練習嫌い
    馬場の全盛期は、全日本プロレスを設立した後の数年だといわれている。私が全日本プロレスをテレビで観るようになったのは80年頃からだったが、この頃には既に練習しているような体型ではなく動きもスローモーで、かなり雑なアメリカンプロレスをやっている印象であった。
    彼の試合の説得力の無さが、後年プロレスファンが格闘技に流れてしまったことの一つの遠因だったかもしれない。




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